さすがにこれだけ仕事が忙しいと、モチベーションを保つのも一苦労。というか、保てていない。新しいことを勉強しながらサイトを構築していくのはこの仕事の醍醐味だけれど、忙しくて知識の整理がつかず、昨日覚えたことを忘れて今日また探してやる、という非効率ぶり。
どこかで時間を取って頭の中を整理しないと、また数ヶ月後に同じような案件をやる時に、ゼロからのスタートになるに違いない。まあ、それでもやっぱりWebの仕事は面白いよ。そう思うから毎日遅くてもなんとかやれている。
仕事をすぱっと片づけて、空いた時間を作る。そういう攻めの時間管理をして、有効な時間を増やしたい。一日は24時間。それを上手く使うには、何から始めればいいだろう。年末から会社が行かせてくれている経営塾では、「朝5時に起きろ」だそうな。その効用はよく分かるけれど、無理め・・・_| ̄|○
とにかく寝たい、そんな覇気のないことを考えている。それと、11月に開催が正式決定した「三宅島バイクレース」について考えている。これは・・・会社休んでいくっきゃねえだろ。
んん〜、思っていたとおり、い〜い感じで仕事が詰まってきた。
昨日クライアントのところへ打ち合わせに行ったら「トップページのFlashを二日でなんとかできないですか?」と聞かれ、上司の隣で聞いていたオレは「絶対無理ーーーーッ!(;´Д`)」と心で叫んでいたわけで。でも結局週明け月曜のたぶん夕方くらいまでに上げることになった。ああ、うう。
打ち合わせから帰ってきて、その晩にデザインを一案作り、上司から良い反応をもらえなかったので家に帰ってさらに一案。今朝フタを開けてみたら昨日会社で作ったもので行くことになった。
で、結論から言うと、今日一日で大体の部分は出来上がった。まあ、ActionScriptで難しい制御をするわけでもなく、スプラッシュムービーなので取りあえず構築できた、というところか。
時間通りにできるのは良い。でも、「今自分が出来ること」でそれをこなして何の進歩があるというのか。「近道は、結局遠回り」になる可能性を常に裏側に持っていると最近つくづく感じる。このFlashも、取りあえずちゃんと意図したとおりに動くものの、修正が入ったらキツいだろうなあ。Scriptで制御できる部分はさせたほうが、絶対に簡単に修正できると思う。でもそれを調べている時間がない。
まあ、要はやる気なんだろうと思う。どこかで仕事を何とかこなせている事への安心感だとか、好きなことや得意な事への傾注、といったことも絡んできて、早くも「守り」に入ってしまっているのだろう。まだ一年も経っていないのに。・・・いきなり全部は出来ないが、何を優先して身につけていくべきか、もう一度振り返ってみた方がいい。
ああ、そう、酔ってるからだなぁ、こんな事書くの。落ち込んでいるとかではないよ。ふと、思っただけ。仕事は相変わらず楽しい。それは幸せなことだよ。
写真はこの前のサマソニの空。この後、雷雨。日本は亜熱帯になっていると思う。
「今したい贅沢は?」と聞かれれば、「何も考えないでぼぅっとすること」と答えるだろう。
仕事が忙しくてイヤだとか、現実逃避をしたいとかではない。毎日色々考えることがあって、でもそんなに一度に頭に入れられるはずもなく、仕事も日常も流れていくだけだなあと半ば他人事のように眺めている瞬間がある。
丁度、固くしまった地面の上を流れていく水に似ている。流れる思考を砂のように吸収したい。そのために何もしない時間が欲しい。でも時間は作るもの、なんだろうなあ。
HTMLとか、CSSとか、JavaScriptとか、デザインとか、更新スピードとか、Officeとか(相変わらず手こずっている)、サーバ周りのこととか、企画とか、提案書とか、勉強しなければいけないことが山盛りテンコ盛りなこの仕事。脳みその回転が一向に上がらないのはどうしてだろう(´・ω・`)
この会社に入って三ヶ月。もー毎日毎日眠いけれど、入社して良かったなと思えるのは、デザインや更新だけやっていれば良いのではなくてディレクター的になんでもこなさないといけないところと(とは言っても全然できてないけれど)、上司の存在。
こんなに毎日遅いのに、上司は帰ってからさらにサイトを見て研究したりWeb関連の本を読んだりしているのだ。もうただただ驚くばかり。そして、この人にとってはWebは「勉強」することではなくて「遊んで」いることと同じなんだろうなあと思うのだ。すぐそばにそういう人がいるのは刺激になる。
・・・とまあ素直に思うけれど、何せ自分の無力さに苛まれる今日この頃。最近はヘコむこともめっきりなくなったけれど、なんだか昨日今日はちょっと気分が下降線気味。追い打ちかけるように個人的にヘコむことも。・・・逃げてどうにかなるのか。そうは言っても難しいなあ。バイオリズムの谷間に久しぶりに落ちている感じ。
コメント、トラックバックいただいた方ありがとうございます。週末にゆっくりお返事します。
日付が変わって今日12月3日は誕生日。この一年はあっという間だった。去年の今頃は、コンペの締め切り直前で死にそうになりながら追い込みをしていたっけ。なんだかもう3年以上も前のことのように感じる。
誕生日を迎えて、楽しいとか、うれしいとか、ちょっと寂しいとか、そういう気持ちはなくて、心からホッとしている。そして、結構誇らしい。
去年の今頃、Macに向かってひーひー言っていた自分に「一年後のお前は、お前が望んだところにいるぞ」と胸を張って言える、生まれて初めての誕生日かも知れない。なんとなく過ごしてきた今までの一年とは違う。次の一年もそうでありたい。
そして、正直に白状すると、年齢を考えた時に「間に合った・・・」という安堵も大きい。でも安心していないで、三年後には今より二つ、さらに上を目指せるようになっていたいものだ。
やってみないと分からないことがある。使ってみないと見えないことがある。行ってみないと感じられないことがある。
例えば就職活動なんて、やってみるまでは恐ろしくて仕方なかったけれど、やればやったでなんとかなるもので、そして大いに自分を磨く場を提供してくれた。バイクの楽しさは乗ってみるまで全く分からなかったけれど、乗ったらそれまでと違う視界が開けて、とても楽しかった。キャンプには何度も参加しているけれど、自分の道具を揃えて使ってみるまでは、なんだか人の家にお邪魔しているような気分だった。
知らない土地や、知らない環境に身を置いてみないと今までの感性から抜け出すことは難しい。だからみんな旅に出たり、仕事を変えたり、住むところを変えたりするのだろうか。自分の身の回りのことを勇気を持って少し広げてみるだけで、突然人の話していることが理解できるようになる。それを分かっていたようで、分かっていなかったようだ。今はそれが体感できて、とても楽しい。
肩の力を抜いて、色々やろう。取りあえず、次はまた島旅の計画、だな。ワクワクするなあ。
面接もさることながら、制作テストでやったタグの手打ちがこれほど遅くなって、しかもかなり忘れていたとは・・・いやあ、ダメだこりゃ(´・ω・`)ショボーン
Dreamweaverが便利で、最近はタグを直接いじるのなんて手直しぐらいだったのだけれど、こりゃまたイチから鍛え直さないとイカンなあ。ちょっと入れ子になったテーブルタグを打つと混乱してしまうのは本当にどうかと思う。
弱点が見つかったので良しとはしたけれど、しょんぼりしたので、ヤフオクでスノーピークのランタンを落札してみる。新品なのだけれど、送料入れたら店で買うのとさほど変わらない・・・あああ(´・ω・`)ショボボーン
「すぐやる課」という部署があるのは松戸市役所だったか? 市民の要望やクレームに迅速に対応する、というようなところだったと記憶しているけれど。
簡単なようでいて実はすごく難しいことの一つに、「すぐやる」というのがある。日々の生活の中で普段何気なく後回しにしていることを「すぐやる」だけで、きっと大分違うと思うのだ。机の片づけ。書類の整理。手帳のチェック。食器洗い。積んである本を開く。後に回さないで、「すぐやる」。
分かっているのに、なんて難しいんだ!
ここのところなんだか慌ただしい。仕事もなんだか忙しいし、身の回りもなんだか落ち着かない。なんだか胃の調子も微妙だし、なんだか書くネタもあるようでない。少なくとも木曜日を越さないとなんだか他に手が回らない。なんだかなあ。
先週一社、今日も一社、内定が出た。でも先週のはすでに内定を辞退しているし、今日のところも一両日中に辞退を伝えるつもり。やっぱり求人情報だけでは分からないことだらけで、実際に面接に行ってみて分かることが本当に多い。先週のは仕事内容と福利厚生の部分でどうにも妥協できない部分があったので、お断りした。デザイナーじゃなくてオペレーターみたいな仕事だった。社保も不完全。バイトや派遣で探した方が条件のいいところがたくさんありそうだって正直思ってしまった。
今日内定もらったところは、面接に行って色々質問をしても、その会社の中のことがよく分からなかった。うーん、あまり書くとグチみたいになるからやめておくけれど、色々気になることがあって、自分の直感が久しぶりに全力で「やめとけ!」と言ってる。一月くらいからずっと同じ求人を出し続けているらしいし、昨日は今使っている求人サイトの新着求人メールが来て見てみたら、その会社の、以前と全く同じ求人が載ってる。それで今日内定もらっても、素直にそうですかとは言えない。
まあ、どんな形でも結果は出始めているので方向性は間違っていないのだと思う。面接で話すほどに色々自分の中のことが分かってくるし、やりたい仕事内容が煮詰まってくる。「どこかに潜り込んで」というのはある意味真実なのだろうけれど、どうせ潜り込むならちょっとくらい厳しくてもしっかり腰を据えてスキルを伸ばせるところにしたい。とかいって、この後ずるずるとどこにも決まらなかったりして(笑)
ま、断るのも選択なら、納得できる仕事を求めて活動を続けるのもまた選択。間違った選択なんてないと思う。それに色んな職場を覗くのも楽しくなってきた。明日はWebに特化した広告代理店の面接。どうやら社長御自ら面接をしてくださる模様。がんがります。
あ、写真は小笠原のウェザーから撮ったもの。なんてことない写真。素材として使うんならいいかなと。
おかげさまでこちらのサイトも「ヤプース! メールでフォト日記」のサービスを利用して始まってから3年以上を数えました。近日中に表のサイトからのリンクをはずして、独立したサイトとして再出発します。・・・ま、基本的なスタンスはほとんど変わらないんですけどね。それにたぶんデザイン変えてるヒマとかない。とほほ。
継続はなんとやらと言うけれど、こんな「掃き溜め」でもまあ割と大きくなってきたので、ここらでもっと外に広げて行ければいいなあというほのかな野望のようなものがあります。
そんなわけで、よろしければトップページをブックマークしていただければと思います。これからもどうぞよろしく。
時として「無力感」や「空虚感」に襲われたりしないだろうか。自分の中に確固たるものが感じられなくてうつむきがちになったりしないだろうか。自分の内側の部屋が空っぽに見えて仕方がないことはないだろうか。
でも部屋は空っぽなんかではない。たまたま何も積まれていない綺麗な壁を見ていただけだ。後ろを振り向けば、よく分かるもの、知っているもの、なんだかよくわからないもの、思い出せないものがたくさん積んである。目の前の綺麗な壁は、これから荷物を積んだり、勝手気ままに落書きをすることだってできる。何もないのではない。何かできる空間なだけだ。
できる(と信じられる)こととできない(と思い込んでいる)こと、持っている(だけで実はあまり使い道のなさそうな)ものと持っていない(けれど本当に望めば手に入る)もの、を考える。要は心のあり方次第なのだ。そういうと「言うのは簡単」と言ってしまう自分もまたいる。それに向かって「黙ってろ、目にもの見せてやる」と言う自分もいる。だからってクサっているわけでもない。
自分の内側の部屋にはまだまだ何か隠れていそうな、そんな根拠のない予感がするのだ。
例えば、時々あまり気分が晴れなかったり、イライラしたり、落ち込んだり。それって確かにそういう心の状態なんだろうけど、ちょっと見方・感じ方を変えてみればそんなに大きな問題じゃないと気が付く。
それはカメラを持って被写体に向かっている時とちょっと似ていなくもない。立ったままファインダーを覗いてみると何でもない光景なのに、しゃがんだり、横に回ったり、寝そべったり、足場に上がったりするだけで、劇的に面白くなったりする。
そうやって自分の感じ方をあちこちから見てみると、大騒ぎすることなんて実はいくつもない。自分の内側もそうやって色んなアングルから捉えられるようになりたいものだ。
油断するとつい心は灰色に。でも目線を変えてみれば、結構毎日大きなコトから小さなコトまで、ヨイコトが転がっている。気が付かないだけだったのかも、と気が付いたら、なんだか笑い出したくなった。気分が冴えないあなた、気が付かないだけなのかもしれないよ。
終わったああああああああああ。この達成感と開放感は最近記憶にないほどだぁ。しっかし昨日から30分の仮眠以外全く寝ていないのだけれど、さほど眠くない。しかしいつも簡単に打っている携帯のキーを、簡単に間違えるぞ。あぶないぞ。何も食べてないからだとは思うけれど、さすがにそろそろやばいと思うので何か食べなければ。ふう〜今夜は寝るぞ〜。
どうしてこう、やることがある時に色々他のことやってるんだろう? 色々やらなきゃいけないことの他に、いいアイデアが浮かんだりするんだろう。あちこち思考が飛んでもどれもちゃんと結論が出る頭になりたい。
去年は冷夏で「オレの(アタシの)夏を返せ〜!」ってな声があちこちに聞こえたもので、確かに梅雨からそのまま秋になってしまった9月なんかは、本当に盛り上がりに欠けるライブが、そのままアンコールもなしで終わってしまったようなダマされた感が少なからず残ったものだ。
で、今年はいきなり梅雨をすっ飛ばして夏である。しかも猛暑を通り越して炎暑、だって。
でも、人間勝手なもので、暑けりゃ暑いと文句を言う。オレも言う。顔を合わせれば言う。挨拶は「暑いですねぇ」だ。この「暑さ」はいきなり現れた日常の「仮想敵」なのだ。みんなで「暑いぞ、コンチクショウ」と言えば、どことなく連帯感が生まれる。それでいいのだ。暑けりゃ夏商品が売れて景気も上向くってものだ。
・・・だけど、一番いいのは、暑かろうが寒かろうが、それに寄り添って生きていけるような、そんな柔軟さがあること。昼休みに見た、ニューキャッスル前の猫のポンは、すぐそばを慌ただしく人が行き交っていてもおかまいなし。だって暑いから。人がいたってじたばたしない。ただ暑さを受け入れるのみ。ある意味達観。
「マルチタスク」という言葉に憧れる。Mac OS Xは、同時に二つ以上の処理を並列してこなすことが出来る。CD焼きながらPhotoshopで画像いじったり、DVD再生しながらネットをしたりと、OS 9時代には考えられなかった快適さ。・・・いや、オレが言いたいのはOS X万歳ってことではなくて。頭を悩ますことが一つでもあると、他のことがおろそかになる我が頭の処理能力の低さを嘆いているのだ。色々手を付けているのに、どれも中途半端だわ。くくぅっ。
ビビった。さっきMacの前に座っていた時に、どこからともなくタバコのニオイがするではないか。人によってはおそらく全く気が付かないか、気のせいくらいにされてしまいそうな、そんなかすかなニオイ。でも確かにする。オレの鼻がそう言っている。試しに背後の収納を開けてみたら、そこから確かにニオイがする。もしや・・・と思い、収納の天井を見たら、二枚ある天板の片方がずれて隙間が開いていた。さっき、年末の旅行や総会で使ったドラムバッグを収納の上に突っ込んだ時にずれたのだろう。板の隙間をぴったり閉じたらニオイはほとんどしなくなっ た。
それにしても、以前から、収納からは隙間風が出ていて冬場なんかは寒くて困っていたのだが、二階のタバコのニオイまで運んで来てしまうとは、全く参る。そもそもお二階はいつも「ゲホゲホ」言いながらタバコを吸っているようで、自分も調子が悪い・他人にも知らないうちに迷惑をかけている、そんな有り様はオレに言わせればアホウもいいところだ。
ここで嫌煙家論を展開するつもりはないが、世の中からタバコがなくなればいいと心底思う。人がどう思うかは人それぞれだから、ここは自分がそう思っていることだけを書いておくに留めておきたいが。ああ、隙間風の入り口を突き止めて、天板のまわりを何かで塞いでおくかなー。
総会の疲れがまだ微妙に取れていない今日この頃。昨日からなぜか膝が痛くて困っている。長靴のせい?
昨日は忙しかったが、今日はいつも通りヒマだったので、これからのことについて考えをまとめる内職をしていた。漠然とした考えも、紙に走り書きするだけである程度具体的になっていく。脳の思考は偉大だけれど、それは大きな河のようなものなのだと思った。沢山の良いものが目の前を流れて行くが、少し目を離すともう流れに捕まって見えない下流まで流されて行ってしまう。紙やPCはそれをすくい取る網や取って置く魚籠みたいなものだ。まあ、あまりに走り書き過ぎて、書いた本人にもよくわからないメモ、なんてしょっちゅう だが。
写真はピザ屋とかで使っているジャイロなのだが、後ろのキャリアボックスがどうにもでかい。ピザ屋用のやつよりも2倍くらいはありそうだった。これならりりやんも荷物に悩まされることはなさそうなのだが、いかが?
久しぶりに味噌汁を家で作った。それをすすっている時にふと、頭をよぎったこと。
小さな店先で樽に盛られた何種類もの味噌から、お気に入りのものを見つけてちょっとした袋に小分けにして売ってもらい、今日買った味噌はどんな味がするだろうと想像しながら味噌汁を作る、そんな生活がしたい。
あるいは。あちこち食べたけれど、やっぱり近所の豆腐屋の豆腐でなければダメと、一丁分が入る器を下げて買いに行く、そんな生活。
種から収穫、いただきます、まで顔見知りな野菜を食べる、そんな生活。
軒先で干されて常にネコに狙われる危険を冒しつつ、天日でじっくり美味くなる干物を、その干してある網から直接買う、そんな生活。
いやいや、そんな贅沢をするにはまだまだ年若いと言わざるを得ない。そういう身分になるにはまだまだやらなければいけないことが沢山あるんだなあと、味噌汁を飲み終わる頃には思い直した。
とうとう30歳になってしまった。全然実感がないし、よく言うことだが、自分が10歳若かった時に思っていた30歳像となんとかけ離れていることか。「30までにやることを決めておけ。それまでは何をやっていてもいい」と言ったのは、学生時代にバイトをしていたちゃんこ鍋屋の店長だった。取り敢えずやることは決まっている。本当は30までにそっちに移るつもりだったけれど、だらだらしているうちにリミットを過ぎてしまった。自分を不安にする要素をあげていけば、最後は自分を泣かすことが出来る自信があるが、こうなったら腹をくくるしかない。しっかり準備をしてやろ う。
誕生日に腕時計を頂いた。デザインはシンプルだけど、光で発電するニクイやつ。Gショックだから落としたところで壊れやしないし、素潜り程度の防水・防 圧もある。電池を入れ替える必要がないとくれば、もうこれは半永久的に動き続ける時計なのである。未来だなあ。・・・いや、いつも日の差さない部屋にい て、日の差さない仕事場にいるから時計の充電をしにたまには外に出ろ、ということなのかも??(笑) どっちにしろ、うれしい。
こうして毎日無為の日々が過ぎていく。時折様々な要素を列挙しては、独りで不安になって押しつぶされそうになってみたり。でもそのほとんどが取り越し苦労だったり。なんだってこんなに自分がおぼつかないものに思えて仕方ないのか。考えるだけまた同じ不安にさいなまれるだけか。寝よ寝よ。
気が付けばもうそこまで迫っているのは、海の日キャンプ。この調子で行ったら、気が付けば年末、なんだろうなあ。30の誕生日までにやりたいこと、やらなきゃいけないことが山積み。今視界に入る机の周りも色んなモノで山積み。近所のネコのようにゴロゴロして過ごしたいのになあ。
気が付けば、ここのつぶやきももう1年と4ヶ月くらい続いてしまっているわけだけれど、最近どうにも「人が見ている」という意識が必要以上に働いてしまって、筆の走る先が思っていることと微妙に違ったりする。もちろん、「見てる」「面白い(そんなこと言われるわけないが)」と言ってくれるのはたまらなくうれしいけれど、愚痴なんぞをハデに言っていたときが懐かしかったりするのも事実。そしてそれは「こんなところ誰も見てないに決まってる」と思ってるから書けるものだったのだと、今さらながら思う。スポーツライターの金子達仁さんも似たようなことを、どこかのコラムで書いていた。
・・・まあ、こんな駄文でも人に読んでもらえるからこそ、書く意味があるのかもしれないけれど。一度初心に返って書けるように、最初から読み直してみようか。周囲の深読みや詮索も気にせずに。どこまで行ってもオレの「つぶやき」なわけだし。
「他人は自分を映す鏡」とかなんとかいう言葉を聞いたことがある。自分がどういう人間かは、自分一人ではどうにも判断できない。もし、生まれてこのかたずっと一人だったら、自分が実はどういう性格で、どんな顔かたちをしていて、服装はどうで、興味があることはこれだと、はっきりと言うことができるだろうか。もちろん、主観的に見て「自分はこういう人間だ」とすることは簡単だろう。でもそれは本当にあなたなのか。そうあれかしと思う希望や、願望、自己の過大評価が混じってはしないだろうか。
たくさんの他人の中にいて、その人たちを見て、初めて自分の中の他人と違う部分を認める。それがより間違いのない自分、なのかもしれない。もちろん、何でもかんでも他人と比べたりしなさいと言っているわけではない。それは例えば反面教師であったり、良いお手本であったり、耳を塞ぎたくなるような自分への指摘であったり、思いもかけない賞賛といった、他人からの働きかけから自分のあり方を知る、他人の中の自分を見る、ということなのではないだろうか。
そして、たくさんの人に会うたびに、オレは自分の底の浅さを思い知ってしまう。それも他人という鏡があるからこそ。でもそういう鏡があるからこそ、楽しい毎日が送れるのではないかと柄にもないことを思ってみる。
どうも自分の自己管理能力を過信しすぎていたようだ。最近給料日前が毎回厳しい。よって、今月からまた家計簿をつけてみよーかなーとそこはかとなく思ってみたりする。つけても使っちまうものは使っちまうと言ってしまえばそれまでだけど。
・・・髪が伸びてきて鬱陶しくなってきた。切るのは面倒だけど切らないわけにはいかないし、切ってしまうんだったら頭の他の部位になんとか異動してもらうわけにはいかないかと妄想。革新的○ゲ克服法が近い将来開発されることを夢見たりする午前1時半。限りある資源を大切に。
夜仕事場にいたら、弟から写真付きでメールが送られてきた。「今長野の別所温泉に家族でいます!」だって・・・。家族で、ってオレは? 行くとか行かないとか一言もなかったけど? ・・・今夜はビールがなんとなく苦い。
昼間、有楽町線銀座一丁目駅の地下道を歩いていた時、ふと「自分はなんでこんなに色んなことに意地になっているのか」と思った。『意地を張ること』と『考えを通すこと』は違うだろうと。まるで子供みたいだ。
考える。考える考える考える。考える作業はなんて大変なんだと思う。やることが決まってしまいさえすれば、後は簡単なことが多い。それなのに、考え始めると頭が急にそれを拒否しているかのように眠くなる。ああ、今目の前の皿に乗っかっている頭のないアジみたいだ。頭がダメなら体が役に立つ、とも言うけど、使わない技術も体から消えていってるみたいだ。久しぶりに焼いたアジは、なんだかうまく焼けなかった。焼き損ねた理由を考えようとして、また眠くなる。
クロネコヤマトのCMだったか。「お〜金もないしぃ〜♪ じ〜かんもないしぃ〜♪ 車もな〜いしメンドくさいしぃ〜〜♪」と歌っているのは。今のオレそんな感じ。どこにも行けやしない。
それにしても、今月は何に使ったんだ? 全然無いどころかマイナスだぞ、口座の金。
なんか、こう、胸の奥の方で、言葉にならない思いが積もっている。どこまでが自分の感じたことで、どこからが人の感じたことなのか。昔から人に流されやすくて、外からの情報を入れるたびに、いつの間にかそれが自分の意見にすり替わっている。もっと、芯の強い人間になりたい。
とにかく、好きなモノは好きだと大声で言ってみよう。
誰になんと言われようと。長い人生の一時期に、熱狂するモノがいくつかあったっていいじゃないか。
「アイツはちょっとオカシイ」と言われるくらいが丁度いい。
あなたも、君も、お前も、きっと見に来ているはずなのに、なぜ一言くらい言ってくれないのか。ああ、なんだかやる気が失せてきた。・・・と、思ってみたところで、それは単に自分の都合のいい解釈なんだと気が付いた。面白くなければ何も言わないし、来るのをやめてしまうだろう。それが普通なんだ。
ましてやプロの仕事なら、「なんで何も言ってくれない」とか「どーして来てくれない」なんてものは言い訳以外の何物でもないんだろう。仕事の評価はサイトのヒット数やメールでの感想・意見だけというのが当たり前だし、ECサイトならそれは売り上げだろう。
まあ、そんな大したサイトでは最初からないわけだし、肩の力を抜いて、サイト構築の練習を始めた頃の気持ちを思いだそう。「継続は力なり」が真だとしたら、このサイトの全てのページが取り敢えず完成する頃には出来ることはきっと増えている。