九十九里を目指してきたけど、東金付近で道に迷ってます。
追記 -------
この週末、土曜日はなんとか天気は持つけれど、日曜は雨と聞いていたので土曜日にバイクに乗ることにした。・・・が、休みナシが堪えていたので、起きてみればお昼だった。それじゃあと南越谷に住んでいる友達にバイクを見せに行くことに。
「おーかっこいいねー」と嬉しいリアクションだったので満足(笑) それにしても、どういうわけか、南越谷には迷わず行けた試しがない。
そして日曜日。土曜日は珍しく日付が変わる前に布団に入ったのに起きたら10時過ぎだった。外を見てみたら晴れてやがるじゃないか。慌てて掃除やらゴミ捨てやらをすませて午後1時くらいに取りあえず千葉は外房を目指そうと思い出発。
とにかく高速に乗ってしまえばあとはそんなに時間はかからないだろうと。鹿浜で首都高川口線に乗り、南下して葛西ジャンクションで湾岸線に出る。後は千葉方面を目指して走るだけ。宮野木ジャンクションを過ぎたらほどなく東金有料道路に入る。
湾岸習志野を過ぎたらサービスエリアが見あたらなくて、仕方なく東金の手前のノロ、じゃなかった野呂というサービスエリアで休憩。小腹が減っていたのでノロソバ、じゃなかった野呂ソバという、めかぶとわかめがなぜか載っているソバを食べる。うん、フツーだった。
ところで、カップに入ったコーヒーの自販機! なんだかちょっと見ない間にえらい進化してるんですけど!! 機械にテレビモニターがついていて、コーヒーを選ぶとその都度豆を挽いて抽出、おまけにスタバのカップみたいに飲み口の付いたフタをしてくれる機械内部の様子をライブ中継。BGMはコーヒールンバだよ。待つ時の気恥ずかしさったらない。帰りの湾岸市川のサービスエリアでも全く同じ機械があって、人の買うところをなんとなく眺めていたのだけれど、もしかして、これ録画してるのをただ流しているだけなんじゃないのかと。そんなこと言ったら失礼かな。だってさ、抽出する容器に「あなたのために抽出中(ハートマーク)」って書いてあるんだよ、野呂のも、市川のも。アヤしすぎる・・・。
で、お約束の如く、東金で降りりゃいいものをどういうわけか成田の方に行く銚子有料道路に入っちゃって、山武の方に行っちゃうし。・・・しかもいつのまにか「山武市」なる自治体が出来てる・・・。南房総市といい、どんどんローカルな匂いを残している地名は消えていくのな。残念でならない。
で、下道で東金まで戻り、千葉県民をやっていた時にも乗ったことのない九十九里有料道路、通称波乗り道路に乗ってみる。いやー、前も後ろも全然車走ってません!! 左手には荒れた外房の海!! 最高!! ・・・寒いけど。ホントはのんびり海でも眺めようと思っていたけれど、寒いのでヤメ。日も大分傾いてきたので終点までは行かず、長生で降りて、茂原から市原を抜けて蘇我で京葉道路に乗って帰ってきましたとさ。
7時半には家に着けたので、久しぶりにモンキーで買い物に行くことにした。これがさ、一ヶ月くらいエンジンかけて無くてもすぐかかるんだよね。この寒いのに。すげえよ、モンキーは。そして、スピード出ない(笑) でも近所を走るならこっちの方が小回りもきくしどこにも停められるし、いいやね。
・・・というわけで、久しぶりのお休みはバイク漬けでしたとさ。来週末は雨だって言うし。・・・って行ってたらまた晴れたりしてな(笑)
京葉道路の武石インターで降りて、実家にアポ無し突撃晩御飯。今年は庭のミカンの木に山ほど実がなってた。段ボール二箱分。これから国道16号に抜けて、柏から常磐道、三郷で外環に乗って帰ります。
神津島は良かった。やっぱり島はいいよなあ。うんうん。原付バイクなら結構走り甲斐があると思う。何げに高い峠をくねくねする狭い道なんてのもある。こんなところで教習所で習った走り方が活きてくるとは思わなかった。単に走るだけではなくて、坂の脇に生い茂る木が途切れて眼下に青い海が広がった時の感動はどこの島に行った時も同じだけれど、やっぱりいい。
さて、島に行くと普通は海に行くものだけれど、へそ曲がりのオレは取りあえず山に登ってしまうのだ。いや、今回は一日目は山、二日目は海、って思ってたんだけれどね・・・台風のうねりをナメたらいかんよね。東海汽船の人が「明後日の便は来ない」って言ったら来ないんだろう。台風の進路がそれても、風と波のチカラは過去イヤってほど味わってきてるしねえ(´・ω・`)
おっと、話がそれた。実況中継(?)でも触れたけれど、神津島には天上山という山があって、特別高いわけではないけれど、なかなか秘境チックで小さな島の山なのにしっかり登山気分が味わえてしまう。白島口と黒島口という二つの登山口から山に登れるのだけれど、道に迷った挙げ句当初の思惑とは違う白島口からアプローチすることに。
でも白島口からの方が山頂に近くて良かったみたい。最初は森の中の階段を上っていくと、やがて森は開けて山肌に直接作られた山道を登っていくことになる。時間はそれほどかからない。
本当に良いのは山頂に登った後から。擂り鉢状になった場所がいくつもあり、表砂漠、裏砂漠があったり、一見湿地のような緑の絨毯が広がっているところもあり、池があり、そこの中州に神様が奉られていたり、と変化に富んでいて楽しい。そして何より人がいない!! 最高!!
でもいくら小さな島の山とはいえ、急に霧が出てきて道に迷うこともままあるそうで、看板にもそう書かれていたし、宿のおばちゃんも「一人だから気を付けて」と念を押していた。実際、自分では山頂をぐるっと回っていないつもりだったのに、やっぱり一周していて「あれー」と思ったものだ。
最短ルートで歩いて2時間くらい。島の山の面白いところは(と言っても普通の登山はほとんどしたことないけど)、すぐに視界に海が入るところかな。なかなかうまく伝えられないけれど、神津島に行くことがあれば、ぜひ一度山に登ってみて欲しい。
海は・・・適当に泳いだだけなので特にお伝えすることが出来ない(笑) やっぱり駆け足だったので、町を歩く時間もほとんどなかったなあ。それにそれに、島に来たらやっぱり夕日だと思うのだけれど、ちょうど夕食時間でとても残念な思いをした。今度から素泊まりにしようかなぁ。ま、何はともあれ、今回も限られた時間の中で良い旅が出来たと思う。
帰りに、竹芝に着いて、バイクのエンジンをかけようと思ってキックしたら、全くかからなくなり、押しがけしようが、プラグを掃除しようが、ダメ。空ではないけれど念のため20分ほど押してガソリンスタンドまで持っていってガソリンまで入れてもらってもダメで、いよいよルート2000カードの出番か、というところで、チョークを引いたら一発でかかった・・・というオチ付きだけれどもね_| ̄|○
いやーモン吉は以前のモン吉ではないな。寒いわけでもないのにチョーク引かないとかからないなんて今までなかったしなー。そんなバイカーズらしいエピソードもあった神津島旅だった。ああ、もう次の旅に出たいっ。知床ーっ。
切なくて言い出せなかったのだけれど、昨日神津島に着いて船を降りる時、「台風の影響で明日の船が出たらたぶんしばらくでないよ」と言われた。
マジでー!?(*_*)っと思ったけど、それが島旅ってものだから。その場で明後日の予約を明日の便に振替た。
ま、残念は残念だけれど、おかげでかなり濃い1日だったし、いいかなと。帰ったら、頼まれもしないのに旅の総括します。
それでは、内地に向けて出港!
さるびあ丸は、大島→利島→新島→式根島→神津島の順に停まっていく。朝目が覚めて、なかなか大島に着かないなあ、って思っていたら、もう新島だったー。大島だったら完全に乗り過ごしてた!
でも旅は順調です。
写真めんどくさいから撮って出し。サイズデカいけど、いいよね?
締めは近所の健康センター! 冷えた体を温めます。さっきガソリンスタンドに寄った時、「そろそろガス欠かも・・・」って思ってスタンドに入った瞬間にガス欠でエンジン停止したのは内緒です(>_<) 今度はもっと早く起きて出発したいねぇ。
え〜、どったばったしながらも、旅の行き先が大体決まったのだ。ふー、正直慌てました。ええ。慣れないことは、事前に余裕を持って行動すべし、と今回は学習しました。
さて、そこで問題です。来週からしばらくオレが旅に出るその行き先はどこでしょう?
おおお、これ書いてて、仕事なんかしてられるかという気分になってきた(笑) どこもかしこも行きたい・・・。
回答の締め切りは次の日曜日の夜まで! 正解者には豪華イヤげ物みやげ物を進呈! 正解者多数の場合は厳正なる抽選により選ばせていただきます。
ちなみに写真は全然関係ないけど、この前買ったトースター。ストーブの上に載せて火を点けてみた。なんか、ちょっと下側が熱くなって危ない? まあ、大丈夫か。
連休の後半二日間で、奥多摩の青梅線川井駅そば、その名も川井キャンプ場にバイカーズで行ってきた。二日間とも天気に恵まれて、9月ももう後半だというのにじりじりと照るほどの日差し、という陽気だった。それでも日が暮れると肌寒くなるのはやはり奥多摩だからか。
さて、今回はずっと以前からやろうと言っていた、泊まるところはテントのみ、のイベントだった。そもそもの出発点はどこからだったのかは覚えてないのだけれど、オレがテントを数ヶ月前に買って一度も広げていなかったり、まかべさんも何年か前に一度使ったきりのテントを使いたい、という意向があったり、何よりもはまげんがテントと焚き火をこよなく愛しているので、やろうやろう、となったのではなかったか。
当日は特にトラブルもなく正午に青梅駅前に集合・・・のはずが、まかべさんのバイクにトラブルが。CD90はクラッチワイヤーがちょっと前に切れて、ジェンマもキャブ周りのオーバーヒートが原因と思われる故障で動かなくなってしまったそうな。どうしようもないので、まかべさんも電車で川井まで来てもらうことに。
買い出しをして一路川井キャンプ場に移動。前回の鳩ノ巣の教訓から酒も食材も控えめにしたのだ。大人になったよね、みんな(笑) バカみたいに買わなくなったよ。りりやんもいなかったしな。
キャンプ場に着いてタープを張ったり各自のテントを建てたりしていよいよキャンプ、という気分が盛り上がってくる。それにしても、今のテントはこんなに簡単に建てられるんだなーと感心しきり。生まれて初めてのマイテントもご覧のように建てることができた。はまげんがいじりたくて手伝いたそうにしていたけれど、「これはオレが一人で建てるんだぁ! 触るなぁ!」と大人げなくもしっかり自己主張(笑)
のぶとまかべさんも夕方に合流。それからあとはサンマや肉を食ったり飲んだり話しをしたりといつもの空気。辺りが暗くなってほどなくしてから山の端から満月が昇り始めた。そう、この日は仲秋の名月。雲一つない空に満月が登ると、ランタンを点けなくてもそばの人どころか、川原全体が綺麗に照らし出された。本当に明るかった。
一番上の写真は、カメラを三脚にセットして、レリーズした時にカメラがブレないようにセルフタイマーにして、シャッターを15秒間開けて撮ったもの。焚き火に照らされた人と、お日様のように光る満月、ほのかに明るくなった夜空がとても幻想的で、いい写真に仕上がった。まあ、送電線がどうしても入ってしまって正直泣きたくなったのは内緒だ(笑) 本当に、日本で風景写真を撮ろうと思うと、どこに行っても電線に悩まされる。何とかならないものだろうか。まあ、この日は月が昇りきってしまうまで待てば良かったんだけどね、昇ってしまったら川原の人と一緒に画面に収めるのは難しくなる。うーん。
次の日も特にトラブルもなく、のんびりまったり撤収して、青梅でメシを食って、それぞれの家路についたのだった。それにしても、モンキーは段々荷物が大袈裟になるよな。はまげんは大丈夫だというけれど、行きも帰りもやっぱりキャリアが折れないか心配だったよ(笑) それはさておき、今回もとても充実して楽しかった〜。テントのみならず、ランタンも、ストーブも野外初デビューを飾れたので大満足。・・・あっ、ストーブでお湯を沸かしてコーヒー!と思っていたのに、そういう日に限ってマグカップを忘れるとは・・・。まだまだキャンプ偏差値は低いようで(笑) またやろう。その前に一ノ瀬高原のレポ、待ってます。ふふ。
朝起きたらどしゃぶりの雨だった。うわ・・・傘は持ってきてはいるけれど、船が出るか心配になってきた。窓から外を眺めていたら小一時間ほどで上がって晴れてきた。よかった。朝食後散歩していたら、船着き場に市営船と違う船が泊まっていた。よく見ると「神島−伊良湖」と書いてある。お、伊良湖行きの船はやっぱりあるのか!
当初旅の計画を立てる時に、神島行きの船には鳥羽から乗るか伊良湖から乗るか迷ったのだけれど、伊良湖港は一番近い電車の駅からかなり離れていてバスを使わなくてはならず、そのバスもどれくらいの本数あるか分からなかったのでやめたのだ。陸路で見れば鳥羽はかなり先まで行くことになるのだけれど、時間が読めるのと、18切符が鳥羽まで使えるというので鳥羽からにしたのだ。それと伊良湖の船はハイシーズンしか運航していないとどこかに書いてあったのもある。
時間を聞いてみると乗ろうと思ってた市営船とほとんど同じ時間に出る。伊良湖からもバスが1時間に一本程度なら出ているらしい。来た道を帰るのも能がないので、伊良湖経由で帰ることにしよう。一旦宿に戻り荷物をまとめて、まだ時間があるので集落を散歩。猫が山盛りいるっていうのをどこかのサイトで読んだのだけれど、結局見たのは4匹くらいだったなあ。暑かったから軒下にでも入ってだらりとしていたんだろうか。
島に来てからずっと不思議なことが一つ。日に何度か、島の放送で色んな人の名前を呼んでいるのだけれど、理由がさっぱり分からなくて、定期検診? 施設の利用順番待ち? とか色々想像を巡らせていた。もう一度船着き場を通りかかったら、最後にその謎が解けたのだ。島には郵便局はあるけれど、宅急便などの業者はもちろんいない。島に届いたそうしたものは、船着き場で広げられ、宛名を読み上げられる。で、呼ばれた人は取りに行く、ということらしいのだ。島っぽくて面白いなあ。まあ、人がいないからの苦肉の策なんだろうけれどね。
11時前に伊良湖行きの船に乗り神島を出発。船内で乗船料を払ったのだけれど、千円って高くないか?! 市営船が700円ちょっとだったのに。時間にしてみても、鳥羽からだと40分以上かかる。伊良湖はせいぜい20分。多分、市営と民間の差、なんだろうなあ。伊良湖行きの船はクルーザーだったし。港を出たらすぐに揺れ始める。20分ほどで伊良湖港に着いた。船を降りるとすぐに駐車場に向かう人が多い。釣り目的で来ている人は、近郊に住んでいて車を伊良湖に停めて、神島に渡ってキャンプをしながら釣りみたいなことをしているのかな。
伊良湖からは近鉄の三河田原駅を経由して、豊橋まで行くバスがあるそうだが、なぜか三河田原駅までのバスと、そこから新豊橋駅までの電車の切符が一緒になったものが売っていたのでそれを買ってみる。丁度いい具合に10分後にバスが出るというので乗って、主に海岸沿いの道をたどること1時間。三河田原駅に着く。そこからは電車で豊橋まで行くのだ。鳥羽経由と比べて伊良湖経由で豊橋まで行くのは、伊良湖経由の方が1500円くらい余計にお金がかかった。しかし、その分二時間も早く豊橋にたどり着くことが出来た。これは本当に時間をお金で換える「等価交換の法則」みたいな感じだ。
この旅最後の大イベントは、前日にメールで「帰りに横浜で一杯どう?」とお誘いいただいたはまげんと飲むことだったりするのだ(笑) お互いの旅の報告をしつつ、ビールを空ける。オチに困ったらはまげんなんというか、そういう旅の締めもいいよね。神島は本当に何もなくて、よい島だった。海で泳げたり、釣りをするのであれば、また違った魅力があるのかもしれない。もし行く人がいたら、ぜひそのあたりを試してみてください。釣りはアジのような魚が入れ食いっぽかったよ。さて、次はぜひとも伊豆七島の式根か神津に行きたいね。
八代神社から15分ほど歩いて着いた神島灯台は拍子抜けするほど小さな灯台。明治43年建設らしい。でも取り立てて何かがあるわけではない。高台に位置するので雲の状態が良ければ遠く伊良湖岬まで見ることが出来るだろう。10月にはサシバの渡りが観察できたりするらしい。
さらに奥の道に入る。これがまた普段は全然人も通らないだろう道で、蚊に加えて、でっかいクモがしょっちゅう道の真ん中に巣を張っているのだ。ああ、さっき八代神社であったおばあちゃんがなんで長い枝の切れ端を手に持っていたのか分かった。それでクモの巣を払いながら歩いていたんだ。タオルをふりふり、もう一方の手には、それこそいつ何時辻斬りに会うのではないかという武士のような心持ちで枝を構えつつ遊歩道を行く。
島の南東の端にあるのは、「監的哨」跡。戦時中、伊良湖岬から打ち出された試射弾の着弾点を観測したという陸軍の施設跡がある。コンクリの三階建ての建物は、廃墟となっていて、中にも簡単に入れるようになっている。屋上に上がってみると、とても眺めがいい。眺めが良すぎて足が震える。これはきっとずっと上り坂を歩いてきたからだ、と言い聞かせたけれど、屋上からすぐ下は絶壁で海までまっしぐら、な眺めと無関係ではなさそうだ。それでも林からはすこし離れていて、風の通りもいい屋上は、日差しを避けるものはないが蚊がいないので実に快適。波が砕ける様を眺めたり、鳶が飛ぶ姿をしばらく眺めて休憩。
その後は、さらに南下して神島小・中学校の校庭のそばに出て、ニワの浜のわきにある東屋でぼーっとする。台風によるうねりで多分いつもより大きな潮騒を聞きながら一休み。風と波の音が気持ちよくて10分くらいだろうか、うとうとしてしまう。それにしても、人がいない。本当にいい。
ぐるりと島を一周して集落に帰ってきたのは、午後2時前。宿に一度戻って一休みして、またぷらぷら集落を歩いて、午後3時の船で帰るという同じ宿の女の子を見送ったりして、夕方になっていった。それにしても、この集落で缶蹴りや、ケイドロ(ドロケーか?)をやったら本当に楽しいだろうなあと思う。怒られちゃうかも知れないけれど。かくれんぼはオススメできない。なぜなら、一度鬼になったら最後、絶対見つけられなくて日が暮れるまで鬼確定、だから(笑) とにかくこの集落の入り組みよう、斜面にひしめき合うように立ち並ぶ様は一見の価値あり、だ。それと、ここは斜面にたくさんの建物が建っているので、なんとかという条例で、鳥羽市長の許可無く木を抜いたり、穴を掘ったりしてはいけないそうだ。そんなことしたらたぶん周りの家が傾くんだろうね。
高校の時の友達、秋本に先月会った時に、小笠原行きを大プッシュして、行く気にさせたのだけれど、今日が出港日。本人も最初は「考えておくよ〜」とか「船に弱くて、船酔いが恐いよ〜」とか言っていたのだけれど、行くとハラを決めて、出港の日が近づいて来るに従ってどんどんテンションが上がってきていたみたいなのだ。
そういうのを見ていると、小笠原へ初めて一人で行った時の出発前や、どんな旅に出る時でも感じる、ある種の「トラベル・ブルー」のようなものを思い出して面白いなあと感じる。やっぱり知らない土地に行くのは不安で、ちょっと理由を見つけて他の場所にしようとか予定そのものを先送りにしてしまいそうになるけれど、行ったらそんなことを考えていたなんて全く忘れてしまうのだ。それが秋本にも同じように起きているようで、見ていてやたらとシンパシーを感じてしまう。
「朝早かったし、ラッシュにもまれて眠いんだけど、テンションだけはやたらと高い」と、見送りに行った時に彼は言っていた。そうなんだよねえ。だって船で25時間先にあるものは、きっとなかなか出来ない体験をさせてくれる島だと思うのだ。自分もあそこに行って、その後の人生がかなり変わったと思う。そんな自分にとって大切な島に友達がいくことになるなんて、素敵なことだよなあ。今頃、太平洋のど真ん中、黒潮の真上かな。
そうそう、今日は仕事でも小笠原の写真をたくさん撮ってきていた人がいて(二、三カット見れば小笠原だと分かる自信はある)、誰だろうと思って名前を見たら、以前新宿のペンタックスのギャラリーで小笠原の写真展をして、その後島で会って話しをさせてもらった人だった。もう何年も経っているから自分のことなど覚えていないだろうけれど、まだ好きな小笠原の写真を撮り続けていたんだなあとうれしくなった。それにしても、やっぱり空と海が綺麗だ。溜息が出た。
今日は、何かと小笠原のことを思い出す、そんな一日だった。そろそろおいで、と言われているのだろうか。
次の日は朝宿を出る前に、もう一人の宿泊客の人と話す機会があった。昨日夕日を見るのに突堤でぼーっとしていた時に、一人で一眼レフを首から二台もぶら下げている女の子がいるなあ、と思っていたら、その子が同じ宿だったのだ。ちょこっと話しをしたところによると昼はデザイン事務所で働きながら、夜は写真の専門学校に行っているらしい。すごいなあ。何よりカワイイ(おい)。
午前中はいよいよ島を一周してみようと思い、八代神社を起点に出発する。いよいよ、と気合い入れるほどのものじゃないらしく、ゆっくり歩いて2時間程度で一周できてしまうらしい。神島の周囲は3.9キロ、面積は0.76平方キロだからやっぱり小さい。
集落に残る昭和初期の時計台のところでカップルの写真を撮ってあげたりして、八代神社までの階段を登る・・・と行きたいところだが、入り組んだ道で相変わらず現在位置が把握できない。ふらふらあっちこっちに行ってようやく八代神社の前の長い階段に着く。脇道からカゴを背負ったおばあちゃんが出てきて、「灯台行くの〜? 蚊がえらい(すごい)よ」と教えてくれる。
八代神社で取りあえず旅の無事を祈り、裏手の道に回って島の東側に出る上り坂を歩く。まずは伊勢湾の伊良湖水道を望む神島灯台を目指す。勇んで歩き始めたのもつかの間、エサキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!とばかりに蚊の熱烈歓迎を受ける。以前にもそういえば佐久島で似たような目にあったのをすっかり忘れていた。こういう林の中の林道を行く時は、ジーパンかそれに準ずる長いズボンを履いてこないと大変な目に遭うと。結局島を離れるまでに足首周りを中心にたぶん15カ所ほど刺されることになる。とほほ〜。そして、虫さされの薬と、虫除けのスプレーなど持っていなかったと言うことは言うまでもない。とほほほ〜。
仕方ないので持ってるタオルをぶんぶん振り回しながら歩く。途中何度か左手の木立が途切れて眼下に海を一望できる。蝉が鳴いて、トンボが目の前を行き交い、人気のない道を暑い中歩くこのシチュエーションは、10年ほど前に小笠原に行き、母島の北港まで歩いた時になんだか似ていて、初めての一人旅を思い出してなんだか楽しくも切ない気分になる。
宿は民宿「喜代恵」。本当に誰かの家に泊まりに来たかのような普通の古い民家で、通された部屋がなぜか十畳ほどもある。もしかして相部屋・・・?と思ったけれど、そうではないみたい。客は自分の他にもう一人いるだけみたいだ。心配していたクーラーもちゃんとある。
一休みして散歩に出かける。集落の中をさらに歩いて、集落の真ん中、214段の長い階段の上にひっそりとたたずむ八代(やつしろ)神社に行ってみる。海の神様「綿津見命(わだつみのみこと)」を祀っている神社だ。この階段の途中、後ろを振り返ると海が見えてとても綺麗。ところで、個人的にはお寺より神社の方が好きだ。日本古来の心の拠り所だし、ちょっと前までの日本人全ての生活に密着していたのは神社だったからだ。
遙か昔から、採集や農業や漁業などと言った生活の基盤に対する感謝の念が、神社という形で連綿と続いてきた。特に、こういう小さな村の中にある神社というのは、今でも村の人によって、村の人のためだけに、神様が祀られている。そこでの祭りは観光化されたものとは違って(御輿担ぎに参加したことのある三○祭は最悪だった)、本当の意味での奉り(まつり)が今もある。自分にとっては、壮麗な寺よりも、なんでもない鳥居のほうが遙かに魅力的だ。
八代神社に行った後はどこをどう通ったのか島の西側に出たのでそのまま道なりに南下して、椎名誠があやしい探検隊シリーズ第一弾「わしらは怪しい探検隊」の栄えある第一話の舞台となった、ここ神島の「古里の浜」に降りてみようと思ったのだけれど、道路から浜に出る道がそれはもう草ぼうぼうでとてもじゃないけれど行けなかったので、さらに先に進んで「祝いが浜」あたりでぼーっとしてみた。釣りをしている人たちがいるけれど、泳いでいる人は皆無。そりゃそうだ。台風が近づいているので伊勢湾の入り口に位置するこの島の周囲はすでにうねりが出始めていて、波がざぶざぶ押し寄せてくる。
夕方集落に帰って、港の一番外側の突堤に足を伸ばす。釣りをしている人がここにもたくさんいる。テントを張っている人もちらほら。夕日はあまり焼けなかったけれど、のんびり眺めるなんて久しぶりなのでとても満足だった。
宿に帰って風呂に入って、部屋に戻ったらなかなか豪勢な夕飯が用意されていた。さすが漁労の町、というところか。カサゴの煮付けや、サザエの壺焼き、アワビの刺身などなど。なによりうれしかったのは、身だけで赤ちゃんのこぶしほどもある大きな生の岩ガキ! ほんのり潮の香りと、濃厚なミルクの味で大満足!
・・・初日からなかなか濃い一日だった。
前回の一人旅は前の仕事を辞めた時に行った小笠原から数えてざっと7年。それからもあちこち行ってはいるけれど、友達とだったり彼女とだったりして、一人で、というのは本当に久しぶり。やっぱり自分で何もかも考えて行動して、誰にも何も言われない、自分のペースで動けるっていい。
そんなわけで、去る9月の2、3、4日の三日間で鳥羽の神島に行ってきた。まあ、どうということもない旅ではあるけれど、自分のために記録として残しておこうかと。今回はせっかくちゃんとしたデジカメで撮ったので、いつもよりちょっと大きめの写真でお届け。
初日は朝4時前に起床。4時半頃の始発に乗る。何か忘れ物があったような・・・と思って気が付いたのが、携帯の充電器! 今まで旅に出る時に忘れたことがないのに、なぜに今回に限って・・・。ただでさえ電池がヘタっていてすぐ切れてしまうのに。ま、誰からもかかってこないがね。だけれど携帯版乗換案内が使えなくなるのは何かあった時に困る。
東京で東海道線に乗り、そのままひたすらに西進。静岡、浜松、豊橋で乗り換えて、名古屋まで来た時はすでに11時過ぎ。そこから「快速みえ」に乗り、鳥羽までさらに2時間弱。電車に乗っていること自体は良かったのだけれど、とにかくクーラーが効きすぎて寒かった。
鳥羽に着いてすぐ近くの市営定期船乗り場に行く。30分ほど待って菅島経由神島行きの船がでる。お客はどうも島の人たちが多そう。女子高生なんてデッキでお弁当を広げている。微笑ましいな。菅島で結構人が降りると今まで人で溢れていたデッキは自分の他に一人がいるだけに。いよいよ島旅、という気がしてきて楽しくなってくる。
菅島と答志島の間の水路を抜けるととたんに船が揺れ始める。いいぞいいぞ。旅っぽい。時間にして40分ちょっとだろうか、神島に到着した。最初の印象は小さな港町。港からメインストリート(と呼んでいいのかどうか、この小ささは)に入り、宿への道を探す・・・が、地図に書いてある道はどれもこれも普通の感覚で言うなら「人の家の軒先」を通るような道ばかり。びっくりするくらい狭い。山の斜面にへばりつくように集落があるので、坂や階段も多い。そして入り組んでいる。
宿の正確な場所を押さえてこなかったので、歩き始めて5分で降参。路地の角で網の手入れをしているお年寄りに聞いてみる。お陰様ですぐに分かったけれど、どこを歩いていいのか、これは人の家の敷地じゃないのか、その辺の判断が実にしにくい、でも面白い集落なのだ。路地を通るたびに家の中の会話やテレビの音が聞こえてきたり、軒先に漁に使う道具が干してあったりする。
明日はいよいよ神島行きなのだ。まあ、宿だけ決めて、ぷらっと行ってぷらっと帰ってくる、そんな旅。気負いも何もない。お金をかけずに行くので(というかお金がないので)18切符を使っていくのだけれど、これってまさに「等価交換の法則」みたいだ。
時間が欲しければお金を払って速い移動手段で、なければその分時間を払って安くあげる。わかりやすいなあ。現代生活において、「お金を払う」という行為そのものが、「時間を得る」ということとある部分で同義になっていると感じる。移動手段もそうだし、食事にしても作れば安く済むけれど、面倒なのでお金を払って買って手短に済ます。
たまにはスローライフしてもいいかな、というぐらいの心づもりで行ってきます。写真は三島由紀夫の「潮騒」。舞台の島の名前こそ違うけれど、描写は全く神島そのものだというので買って読んでいる。今日一日で半分。明日の移動中に残りを。実際の島を見るのが楽しみになってきた。
この週末は、じゃあ二プレゼンツの夏バイカーズだった。館山駅12時集合なので、朝5時半に家を出て、延々5時間半ほど千葉の内房沿いを走った。
暑いかと思ったら走っている間は実に風が気持ちよくて、海が見えてきた時なんかは「うおおお〜海だああああ〜!」と叫びながら走ってしまうほど楽しくてテンション上がりまくり。モンキーも久々にアクセル全開で長い間走ることが出来て元気が出てきたように感じるのは親バカだろうか。
さて、午後はじゃあ二とりりやん、ちょっと遅れて合流したのぶと一緒に、館山の海岸で泳いだり飲んだり(おい)バーベキューしたりして、夕方白浜の宿に移動。途中綺麗な夕日にまたテンションが上がり、久しぶりに写欲も湧く。時間がなかったのであまり写真は撮れなかったは残念だった。
宿にはまかべさん、宙くん、にの、咲ちゃんが先に着いていて、そのまままたバーベキュー。・・・さっきしてたばっかりだけど、問題ない(笑)
色んな話をしたけれど、みんなどういうわけか人生の岐路に立っているようで、こちらとしても益々頑張らなければ!と大いに刺激を受けた。まだ正式発表ではないので詳しく触れられないけれど、ある人の出した結果とそれに到るまでに要したであろう努力には、心から凄いと思った。それに比べれば自分の今までの頑張りなんて如何にヌルかったかとちょっと恥ずかしくなるほど。
日曜はまた泳いだり、ブレーンバスターかけられたり、汗かきながら焼きそば作ってもらったり、またまたバーベキューしたり、健康センターでひとっ風呂浴びたりして、館山を8時前に出発。道中アクセル全開でぶっ飛ばして、行きの5時間半を大幅に上回る4時間半で帰ってきた。途中走るのに夢中な余り軽くガス欠ったのは内緒です(ノ∀`) ついでに言うと、この二日間だけで右前のウインカーバルブを計3回交換。うんざりです(;´Д`)
割と行き当たりばったりな企画だったけれど、濃密で良い週末だった。幹事じゃあ二には感謝! 遊んでくれたみんなにも感謝!
GW頭にして、2005年最初のバイカーズは、天気に、友人に、ネタに、バイクの調子に、恵まれて本当に良かった。たっぷりのお日様に、風を受けて走っても半袖で十分なほどの陽気。バイクで出かけない理由が見つからないほどのお休みだった。
さて、バイクで走っていると渋滞に巻き込まれたり、排ガスたっぷり吸わされたり、幅寄せされて肝を冷やしたりすることはしょっちゅうだけれど、そんなマイナスを補ってあまりある光景に出くわすこともある。
今回、うちから青梅に行くのに、環八から川越街道に入り、野火止という交差点で志木街道に入った。この志木街道が実によい道だった。くわしいことはこちらのサイトに書かれているが、清瀬市に入った辺りからしばらく続くケヤキ並木が本当に素晴らしかった。新緑の背の高いトンネルの中を、ほとんど車の来ない中のんびりと通り過ぎる。日差しも丁度良くて道に綺麗な木漏れ日の陰を作っていて、走っているだけでうれしくなってしまった。
この志木街道のケヤキ並木は「新東京百景」の第78番目にも選ばれているところのようだ(ちなみに100番は我らが小笠原の南島)。たとえ近場であっても旅というのは、こういう思いがけない風景との出会いの機会に恵まれるものなんだなあとしみじみ思った。
あ、写真は特に関係なし。今回のバイカーズの時に撮った写真。吊り橋に腰掛けた人がいるんだけど、分かるかな。結構好きな写真になった。
部屋の掃除をしていたら、7年前にサメの何人かと行った、佐野厄よけ大師の御札が出てきた。もう薄汚れてしまって引越の時に捨てようと思ったのだけれど、「捨てたらバチが当たるよ、お寺に納めにいかないと!」と誰かに言われたので持ってきていたのだった。
納めるのはお寺なら確かどこでもよいはずで、年明けのどんど焼きで一緒に燃やしてくれるはずだ。でも、どうせなら7年ぶりに佐野に行ってみようと思い、ネットで調べてみたら、うちからでも電車で2時間弱。思ったよりずっと近い。天気もいいし、ずっと部屋にいるのも体によくないし、ということで電車に飛び乗る。
宇都宮線で小山まで行き、そこから両毛線に乗り換え佐野まで。両毛線なんて初めて乗った。電車が停車するたびに普通はドアが開くものだけれど、寒いところを走る路線なので、降りる時は手でドアを開いて降りる。それに東京近辺に暮らしているとついつい忘れがちだけれど、日本は山がちな国なんだなあと再認識。電車のドアと、周囲を囲む山並みで、それほど遠いところではないのにちょっとした旅気分。
着いた佐野は、駅舎が立派なのに街中の商店が休みばかりで閑散としている。しばらく歩いて厄よけ大師に到着。御札を納めて辺りを散歩してみる。記憶違いでなければ、そばの川を車で渡ったり、「白菜が安い!」とみんなで盛り上がった八百屋があったりした。あの時入ったラーメン屋はどこだったけなあ。名物佐野ラーメンだった割にはすごくフツーのラーメンだったのを覚えている。
それでも佐野に来たからにはラーメンを食べねばと、一軒ぽつんとある店に入る。お客はオレだけ。出てきたラーメンは、手で打って切った麺なのがよくわかる細くて平たくてコシのあるうまいものだった。チャーシューもなかなか。佐野ラーメンに対する認識がかなりよくなった。
さて、辺りをしばらくぷらぷらして、来た時とは違って東武線に乗って帰る。東武線を使って帰った方が450円も安いことに気が付く。でも車両の中は寒かった〜。最後に家のそばの自販機で飲み物を買おうとしたら機械に150円飲まれた・・・。御札を納める時に拝まなかったからだろうか・・・とほほ〜、オカシなオチが付いてしまったよ。
大島バイカーズは本当によかった。あと一日あればもっとゆっくりあちこち見て回れたと思ったりもするけれど、晴れてバイクの楽しさを満喫できただけでも意義があった。
帰ってきてから、「裏砂漠」で見た溶岩の砂漠地帯の風景が自分の中で大きくふくらんでいる。東京から船で少し行ったところに、何かの終末の景色というような眺めが見られるとは思っていなかった。それだけに、なんだかもう一度時間をかけて見てみたい、バイクと自分の足でくまなく歩いてみたいとぼんやり仕事場で考えていることに気がついた。
きっと昔は緑があったに違いない三原山の周辺は、茶褐色の溶岩の砂に覆われた荒涼とした風景が広がっていた。1986年の噴火はおぼろな記憶の中だけれど、こうして目の前にその跡地を見せつけられると、月並みな言い方だが人間はなんて小さいんだと思わずにはいられない。そんな、実にいい具合で非日常的な光景だからなのだろうか、こんなに気になって仕方がないのは。
今回あんな景色に出会うことができたのは、その場所を知っていた真壁さんと、バイクでもどんどん奥地に入っていってしまうはまげんやのぶのアグレッシブさがあってのこと。自分一人だったらなんとなく気後れしてバイクで奥に入っていくなんてことはしないだろう。そういった意味でも、バイクで仲間と連れだって出る旅は、思わぬ楽しさに出会える良さがある。その体験を共有できる素晴らしさがある。
仲間とバイクと忘れらない光景と、今回はちょこっと島の人の人情にも触れることができた。なんて上出来な旅だったことだろう。
あけましておめでとうございます。今年もこのサイトをご贔屓に。
年末年始は二泊三日で仙台・松島に行ってきた。仙台は……牛たんに始まり牛たんに終わった。牛たんエライ!と諸手を上げて称賛したくなるようなウマさで参った。今まで食ってきた牛たんはきっと牛タソだったに違いない。同じ名前なのに全く違う肉のようで驚いた。こっちでの牛たんはぺらぺらなのに対し、仙台のは厚くて、しかし柔らかい。
初日に入った店では「とろたん」という非常に柔らかい部分のみを使ったものを、焼きと刺身両方頼んだのだが、あまりのウマさに、一緒に頼んだくじら刺しとかルイベをやめて、牛たんばっかり頼んでおけばよかったと即座に後悔させるほどだった。そんな牛たんに敬意を表して、何か買うときの単位に「牛たん」を制定、「1牛たん」=「1500円」と換算して、それに見合う価値かどうか判断していた。
そんなアホウなオレだけれども、今年も変わらずよろしくお願い申しあげます。ちなみに写真は仙台の冬の風物詩「光のページェント」。長いイチョウ並木が全部ライトアップされていて、なかなか壮観。