2004年11月13日
●森達也さんの新刊を読んでいます。
世界が完全に思考停止する前に 森達也著 |
この本は2003年から04年にかけて新聞や雑誌でかかれた文章を集めたものですが、つい1年前のことなのに、ずいぶん遠い過去のように思えてしまいます。そんな「おわってしまったこと」のように感じてしまうぼくの感受性を、それでいいのか、と質してくるのがモリ節なんです。
そういえば、harappa02のインタビューをお願いして、90分くらい森さんとお話をしたのは2003年の11月でした。ちょうど1年まえ。そのころ書かれた文章も収められていて、またこの1年にあったことの数々が重たく思い返されます。(トール)
こんにちは。リニューアルおめでとうございます!これがブログってものなんですね、全然わかってなかったです。
森さんの新刊、私も早く読みたいです。でも恵文社では未だ入って来ず。版元品切れの壁は高いですね。モリ節は冷静で乾いててでもほどよい感傷も入っていて...いいですね。純粋に文章が非常に達者だという事も素晴らしいです。忘れてはいけない事、また思い出させてもらうために明日街の本屋さんに買いに行こう。
ノムラさん、コメントありがとうございます。ノムラさんもかなり「モリ中毒」とお見受けします。
森さんの新刊読み終わりました。繰り返しかかれていることですが、「主語をはっきりさせて話す」ことを再度肝に銘じました。
思えば、harappa04の特集「わたし、迷惑?」も、「みんなの迷惑」をもちだして、個人の行動を制限しようとすることへの違和感から作ったものでした。迷惑なら迷惑で、「私が」迷惑なんだ、と言ってほしいということです。
片岡義男さんも、日本語は主語を隠す名詞が多用されていて、そうするといつの間にか事態は、誰も責任を負わずに、決まっていて揺り動かしようのない状態になっているように感じられてしまう欠点がある、というような指摘をしていました。主語というのは、私もはっきりさせる必要があると思いました。
リョウタローさん、こんにちは。
翻訳家の人は「主語」に敏感ですよね。
金原瑞人さんは、逆に主語をあらわす日本語がたくさんあって、ふさわしい翻訳って難しいという話を書いていました。たとえば英語で書かれた一人称の作品で、作者が物語の途中まで主人公の性別をはっきりさせないで書いている。あなたなら、この"I"をどう訳しますか?