今日は久しぶりのいい天気。普段日の当たらない部屋に住み、日の当たらない地下で仕事をしているから、こういう日曜は何をするわけでもなくビールを片手に近所の荒川の土手へ。河川敷のあちこちに点在するの大きな柳の木の下の心地よい日陰に入って、靴を脱ぎ、ビールの栓を開け、ぼけーっとする、お金のかからない贅沢。
今日電車に乗っていたら、目の前に座っていた男の人が「指輪物語 旅の仲間上1」を読んでいた。半分くらい進んだ感じからすると、今ビルボの誕生パーティの真っ最中か。……最後まで読めるかな、この人。人が読んでいるのを見るといつも勝手に励ましてしまう、そんなオレはやっぱり指輪ヲタ(笑)
そう言えば、テレビのCMの情報を集めた雑誌に松浦亜弥のページがあって、そこで「二つの塔をみた。すごくオモシロかった。ガンダルフが好きです」って言っているのを発見。あやや、シブい趣味だが間違ってないぞ。その歳でガンダルフの良さが分かるなんて、末恐ろしいくらいだ。……ああ、「王の帰還」まで半年以上もあるよ。待てない。
と思っていたら、英語の公式サイトに「王の帰還」の最初のポスターがアップされていた。王と、ナルシル改めアンドゥリル。……フロドはどうした? また馳夫さんが主役なのか? ブツブツ。でもポスターは欲すぃ。
「他人は自分を映す鏡」とかなんとかいう言葉を聞いたことがある。自分がどういう人間かは、自分一人ではどうにも判断できない。もし、生まれてこのかたずっと一人だったら、自分が実はどういう性格で、どんな顔かたちをしていて、服装はどうで、興味があることはこれだと、はっきりと言うことができるだろうか。もちろん、主観的に見て「自分はこういう人間だ」とすることは簡単だろう。でもそれは本当にあなたなのか。そうあれかしと思う希望や、願望、自己の過大評価が混じってはしないだろうか。
たくさんの他人の中にいて、その人たちを見て、初めて自分の中の他人と違う部分を認める。それがより間違いのない自分、なのかもしれない。もちろん、何でもかんでも他人と比べたりしなさいと言っているわけではない。それは例えば反面教師であったり、良いお手本であったり、耳を塞ぎたくなるような自分への指摘であったり、思いもかけない賞賛といった、他人からの働きかけから自分のあり方を知る、他人の中の自分を見る、ということなのではないだろうか。
そして、たくさんの人に会うたびに、オレは自分の底の浅さを思い知ってしまう。それも他人という鏡があるからこそ。でもそういう鏡があるからこそ、楽しい毎日が送れるのではないかと柄にもないことを思ってみる。
どうも自分の自己管理能力を過信しすぎていたようだ。最近給料日前が毎回厳しい。よって、今月からまた家計簿をつけてみよーかなーとそこはかとなく思ってみたりする。つけても使っちまうものは使っちまうと言ってしまえばそれまでだけど。
・・・髪が伸びてきて鬱陶しくなってきた。切るのは面倒だけど切らないわけにはいかないし、切ってしまうんだったら頭の他の部位になんとか異動してもらうわけにはいかないかと妄想。革新的○ゲ克服法が近い将来開発されることを夢見たりする午前1時半。限りある資源を大切に。
一年半ほど前だろうか。仕事場の近所にやたらと細長い白い建物が出来た。白金台にあるイタリア料理の店「ISORA(イゾラ)」の姉妹店「ISORA blu(イゾラブル)」なのであった。建物は正面から見ると幅が狭くて中に入ると奥に間取りが広がっている、長屋のような3階建てだった。よく見ると屋上?にテントらしきものがあって、一応4階、ということになっているらしかった。夏場暑いんじゃないかなぁ、なんて下世話なことを思ったりして。
もうずっと気になっていたのだが、先日食べに行く機会を得た。店の名の「blu」はイタリア語で「青」の意味。一階のドアをくぐると奥の厨房にその名の由来になった青いタイルをちりばめたピザ焼きの窯がある。なんでもイタリアのナポリから職人を呼んで作らせたそうな。そう、この店の自慢はこの窯で焼いたピザ。窯で焼かれた生地はモチっとしててなかなかの美味。これだけを食べに来る価値もあるのではと思わされる。
・・・うーん、久しぶりに贅沢をした気になった。店の雰囲気も良いし。それにしても、やっぱりこういう店の客は女の子ばっかりなのな。
銀座の松屋は数ヶ月前から外壁を改装工事中だ。この前板で綺麗に覆われた外壁を少し離れたところから見たら、白地にデカデカと「銀座三丁目」の文字が・・・。建物の2階から7階分くらいはありそうな、本当にデカイ文字で書かれている。・・・で? 確かにここは銀座三丁目だ。そんなのデパートの壁の微妙な位置に記されていなくても分かりそうなものだ。一体誰がこんな思いつき(勝手に断定)を道行く人達に主張したいと考えついたのか。他に書くことならいくらでもありそうなものなのに。問いつめたい。小一時間問いつめたい。
以前モンキーで一週間ほど通勤していたときの帰り道、ずっと気になっていた王子神谷のラーメン屋「博多ラーメン虎」に寄ってみた。店内はカウンターのみ。メニューは「純正ラーメン」という豚骨ラーメンの他には、トッピングメニューと、ちょっとしたサイドメニューのみだった。普通にラーメンを頼み、半熟煮玉子とのりをトッピングに選ぶ。出てきたラーメンは豚骨なのに変なくさみがなく、クリーミーでコクがある、上品な味わいと言ったらいいだろうか。なかなかうまい。
そういえば、ここの店長さんはかの「一風堂」で修行した人だとか。煮玉子も実にうまい。思わず替え玉と一緒にまた頼んでしまったくらいだ。そして、店内も清潔なら、店員さんも実に感じが良くていい。場所が不便だけど、また来たい、そんなお店なのである。
梅雨の谷間のよい天気。朝目が覚めてこんなにも暑くなってきたら、汗をかきかきモンキーで通勤しなければ、っていうものだろう! 次にいつ乗れるかも分からないこんな雨降りな季節ならなおさらだ。やっぱりいいね、日差しは暑いけど、風を受けて走ることができるから。・・・だがしかし。着いてからモンキーを段差の上に載せるのに持ち上げたら右脇から背中にかけてスジが「ピキーン」と・・・。違えたみたいだ。どう動いたら痛いのか、まだ分かりかねていて、実に困るのだ。
銀座二丁目三番地には、知る人ぞ知るアイドルがいる。これまた知る人ぞ知るカレー(カライライス)の名店ニューキャッスルの店先に、いつも鎮座しているネコのポンである。
まだ純粋な野良であった四年前くらいには、店のドアの前に置かれた募金箱で集められた善意で去勢手術を受けられたり、気が付けば質素ながらも必要十分な住まいが出来ていたりしたが、いつの間にか、そこにいるのが当たり前の風景の一部になっていた。
そして、ポンをアイドルたらしめているのが、その物怖じしない性格なのである。今日もオレが近づいたら「ニャー」と一声挨拶をして、ごろん。腹を掻いてくれ、というわけである。実にカワイイヤツなのだ。しかし、肝心のニューキャッスルには一度も入ったことがない・・・。どうなんだい、ポン。ここのカレーはホントにウマイのかい?
昨日飲み過ぎで腹が下っているので、久しぶりに正露丸糖衣Aのお世話になる。だが必要なときに必要なモノが手に入らないと言うなんたらの法則よろしく、ビンの中の錠剤は残り3つ。大人一回4錠が、正しい用法・容量なのである。開封してから途中、多めに飲んだりちょっとズルをして少な目に飲んだりはしてないはず。なのに、残り3つとは。不平を言うには小さすぎる理不尽さに、無力感の漂う我が手のひら。
今週は月・火以外、モーレツにヒマだった。今日なんか、夕方6時から9時までに暗室に入って作業した回数が、片手で数えられてしまうくらいだ。あまりにやることがなかったので、Flashの本を広げて、最近会得しようと躍起になっているActionScriptのページを開いた。そして、3分で眠くなる→寝る→冷房で体が冷える→起きてストレッチとかする→本を開く→また眠くなる、の無限ループに一人で陥っていた。そんなAcitonScriptは・・・面白いんだけど、本当に使いこなそうと思ったら、数学の知識が必要になるみたいで・・・(まあ、なくてもなんとかなりはするけども)。サインとかコサインとかタンジェントとか、まさかこの年で再会することになるとは思っても見なかった。数学の式が使えるので、やろうと思えば物理法則に則った動きも再現可能みたいだ。クールなサイトで見かける生っぽい動きのFlashは、きっとそういうスクリプトを組んでるんだろうなあ。道は果てしなく遠い。そして際限なく眠い。
昨日も都営大江戸線に乗る機会があった。この前初めて乗ったときも思ったのだけど、駅の作りが独特というか、面白い。照明の設備もなんだかアートのようなパイプを組み合わせた網のような中に、蛍光灯を仕込んであったり、通路の天井が地下鉄では考えられないくらい高かったり。この、大江戸線飯田橋駅もホームの天井が高くアーチを描いていて開放感がある。遊び心があって実に楽しい。これも慎太郎効果、だろうか。
土曜のチャットできょうけんと話しをしていたとき、「どんな写真が一体良い写真なのか」という話題が出た。もちろん、人それぞれ捉え方が違うので一概には言えないけれども、オレに写真を教えてくれた人(師匠と呼んでしまうにはあまりにもおこがましい今の我がていたらく)が、「物語を感じることの出来る写真」と言っていたのを思い出した。例えばある写真を見て「あ〜、これが写ってるね」と思って終わり、なのはあまり出来た写真ではない、ということだ。「これはこういうことなのかな」とか「これはここからどうなっていくんだろう」といった、画面の外や流れていく時間に自然と思いを馳せられるものが良い、というわけだ。
そう考えると、風景写真、というのは実はとても難しかったりする。一枚の風景で人をうならせるのは「見る目」と「撮る術」の両方に高い技量が必要なんだと今さらながら痛感したりする。人物やスナップ写真が簡単とはいわないけれど、対象に動きを作りやすい分、物語を持たせやすいのかも知れない。それにしてもこのサイト、そんなスナップを載せているけれども、どうにも「物語のある」写真が少ない。これからはもっと考えてシャッターを切りたいもの。
・・・それはそうと、この話しをきょうけんにしたら、「なるほど、ようするに写真を見て、妄想するか、しないか、の違いね」と言われた・・・いや、そうかもしれないけど、違うような気も・・・(笑)
モンキーで川口オートレース場のそばを走ってたら、「SKIPシティは次の信号左折」という標識が目に留まり、そういや今年の二月くらいに、なんかよくわからないけどそんな施設が出来てたなあと思いつつ、ハンドルを左に切ってみた。ええっと、川口市立の科学館とか、プラネタリウムとか、大学の研究施設とか入ってるようだけど、一番のウリはきっとNHKアーカイブスなんだろうなあ、という施設だった。だだっ広くて、休日なのに人がいない。なぜって、どの駅から見ても遠いんだもの。なんか、税金の無駄遣いじゃないのか? オートレース場で儲かってるからいいのか?
金曜の昼間、仕事場のそばにて、夢を買う。売り場の窓口の前に立ったら、わきにいたおばちゃんが日傘を差してくれた。夢を受け取るとき、窓口の奥にいるおばちゃんともども、「当たりますように〜♪」と朗らかな声。当たりそうな気がしてきた。今度こそ、当たりそうな気が、してきた。そうだ、気の持ちようなんだ、クジなんてものは! ・・・間違ってる、オレ?
久々の暑い日差し。こんな日は部屋の中で休憩時間なんか過ごせるもんか。抹茶フラペと、買ったばかりのポール・ギルバートのベスト盤から流れるクレイジーなギターサウンド。銀座の真ん中で歌って躍り出したくなるようなワケの分からない高揚感。
川口駅東口にここ最近再開発の波が押し寄せている。うちから駅に続く本町大通りには次々にマンションが建てられているし、駅前のごちゃごちゃした店舗や住宅は取り壊され始めている。あの小さな本屋「川口堂」も、もしかしたら近いうちになくなるのかもしれない。建てては壊す、人の営み。それが善いとか悪いとかいうつもりもない。ただ、ライトに照らされたマンションの骨組みは綺麗だけれどそれだけ、のような薄ら寒さを感じた。
この前の週末にスーパーへ行った時、酒の売り場の棚に芋焼酎が並んでいたのを発見。そういえば前から一本買ってみようかと思ってたからちょうどいいと思い、奮発して棚にある一番高いやつを買ってみた。
家に帰ってからよく見たら長崎の酒蔵が作ったものだと気が付き、嫌な予感が……。芋焼酎といえば、鹿児島なのである。案の定、微妙にイマイチだった(T_T)
昨日の深夜1時過ぎ、お二階さんの男の方(どうやら同棲していると思われる)が帰ってくるなりすごい足音で歩き回り、シャワーを浴びたりなんだりで、ものすごいうるさかったので、今の人になってから初めて天井を叩いた。それでもおさまる気配を見せずに断続的に3時くらいまでガタガタ物音をさせていた。やっと静まったと思い、こちらも寝られたけれども、6時過ぎくらいにまたガタガタ始まって、いい加減頭に来てたら、上から「うげぇええええ」とか吐く声が・・・。なんだよ、酔っぱらって帰ってきたら、そりゃ下から叩かれても気が付かないわな。つーか、そんなになるまで飲んでくるなよ。またうるさかったらたまらないから、今日薬局に行って耳栓を買ってきた。さあ、うるさくするんならしてみろ! ほら! どうした! オレは全然かまわないぜ! ・・・しかし、12時過ぎには二階からの物音はしなくなった。・・・なんだよ、耳栓買ったオレの立場はどーなるんだよ。500円払えよ。ああクソ、眠い。
今日久しぶりにEOS55をしまってあるところから出してホコリを取ってやったり、年末に課長から安く譲ってもらった外付けのストロボを試してみようという気になって、あちこちいじっていた時のこと。ファインダーを覗いたら、中心近くになにやらゴミ?のようなものが……。「カ、カビ!?」と思って蒼くなった。フォーカシングスクリーンに何かついているみたいだけどもとれない……。撮影自体には問題ない場所だけど、気になるなぁ。例えば問題なく見えている目の視界の、中心を少しズレたところにハエが飛んでいるかのような邪魔さ加減。