コンビニから「Roots コロンビアクラシックブレンド」が姿を消してしばらく経つ。今は有楽町駅前の東京交通会館一階の自販機にあるのみ。その一缶のために出勤前に少し遠回りをする。たかが缶コーヒー。されど缶コーヒー。
自分は土用の丑の日に、わざわざうなぎを食べるようないなせな人間ではないと思っていたが、なんとなく夕飯用に炊いていたご飯が炊きあがりも間近になり、その香りが鼻孔をくすぐり始めると、どうにも「このアツアツご飯の上に合うのはうなぎしかないうなぎうなぎうなぎうなぎ以外に考えられない」とじたばたし始めた。
しかし時計はすでに21時40分。夏場になったからダイエーは22時までやってるかなあなんて甘い期待は当然のように裏切られ、いつも仕事帰りによるスーパーに助けを求める。あった。しかも国産。でもちと高い。背に腹は代えられない。というか、お腹と背中が今にもくっつくぞっ。というような一連の思考の後、うなぎにありつけたのであった。んん、スーパーに売ってはいても、やっぱりうまいね。
マズかろう。マズかろう。マズかろう。
時間潰しに久しぶりに入ったマクドナルドでてりやきマックを食うも、食っているうちにあまりのマズさにだんだん腹が立ってくる。ガキが多くてうるさいし。ホント、いいところは相変わらず安さだけだな。ファストフードはモスに限る。
別に金がないわけではない。銀行に行けばあるのだけれど、給料日前は「あとちょっとで給料が・・・」と思う心のゆるみから、つい余計な出費をしてしまう。だからほんのちょっとしか金を持たないで過ごす。で、給料日前日の今日、帰てきて財布を見たら、所持金総額171円だった。なんていうか、この、ギリギリ感が割とスキだったりする。でもこういうことを続けていると、はまげんなんかに飲みに誘われて、金を借りるハメになったりもするのだった。
海キャンの1日目に遭遇したロケット花火事件からずっと、右耳の耳鳴りがやまない。もとから多少の耳鳴り持ちではあったけれど、今回は明らかに左右の耳で音の聞こえ方が違う。海キャンに行く朝に駅前にチャリを停めて、帰ってきたら撤去されていた。週末まで徒歩通勤。こんな時こそ音楽を聞きながら歩きたいのになぁ。収まるまで耳のために自粛せざるを得ない。オレの右側に立って話しをして、返事をしなかったら、聞こえていないと思って間違いない(T_T)
気が付けばもうそこまで迫っているのは、海の日キャンプ。この調子で行ったら、気が付けば年末、なんだろうなあ。30の誕生日までにやりたいこと、やらなきゃいけないことが山積み。今視界に入る机の周りも色んなモノで山積み。近所のネコのようにゴロゴロして過ごしたいのになあ。
っきゃ〜〜〜〜〜〜っ♪ キルフェボンのブルーベリータルト〜〜〜〜〜♪ 生のブルーベリーがたくさんのっててんまかったっす。一緒に買ったチョコミントタルトは・・・歯磨き粉みたいな味で、もう少しどうにかできるんじゃないかと思ったけど。
金曜の昼休みにじゃあ二とメシを食った。ここ3週間くらい、昼休み時間に「よぅ、いづぅ、今休憩中か? メシ食おうぜ〜」とラブコールをもらっていたが、いつも休憩時間の残り10分くらいだったりしてダメだったのだ。ようやく今週昼休みに合流することができて、めしや丼でうきうきランチ(?)だ。じゃあ二が他人に隣に座られていらいらランチにならないように、一番はじの席をゆずってやったぞ。
どうもオレはイタリア人にはなれないらしい。最近何度パスタを作っても、麺を茹でる量が多すぎる。学習能力ゼロ、というよりこれはきっと「血」なのだ。米は割と上手く炊けると思っているけれど、このパスタの分量の覚えられ無さは、きっと体の中の記憶にそういう情報がないからだ! オレは日本人であってイタリア人ではないのだ! ・・・と、深夜にはいささか腹持ちの良すぎる量の、キャベツとツナのパスタを目の前にして、つまらないアイデンティティの確認をしては、責任逃れの予行演習をしてみる。でも、誰のせいにもできないけれど。もう、こんなに喰えないって。誰か〜(T_T)
箸を新調する。別に何がどうしたというわけではないのだけれど。有楽町MUJIに行ったら、新しい器のラインナップと器に関するエピソードをまとめたパンフレットが置いてあって、その本の、指の長さと箸や器の関係を説明しているページに目が留まった。人差し指と親指を目一杯広げた間の長さを一咫(ひとあた)というそうだ。箸はその一咫と半分、つまり一咫半が丁度いい、とか、一咫はだいたいその人の身長の1/10になるらしいといった話しが載っていた。実際に測ってみたら、確かに広げた指の間は16.5〜7センチくらいだった。そうした人の体を基準とした単位から、器の大きさの必然を説明するというのが、忘れていた日本のココロを教えられた気がして、つい新しい箸を買ってしまったというわけ。まあ、感化されやすいと言えば、言うがいいのさ。
たまたま集まったオレを除く4人は、オレがサメにいることになった切っ掛けを作った連中。のぶ、くろさわ、はまげんは、七年前の小笠原で会いサメに入る切っ掛けを、ハヤスはその後疎遠になりがちだったオレをしつこくサメに誘ってくれたのだった。なんだか、そう思うと実に感慨深い、そんな飲みだったのだ。心から感謝。
今朝仕事に行く途中、あのウワサの電動パッソルを発見! あまりのコーフンにダッシュで駆け寄って写真を撮ろうとしたら、運転してる人とばっちり目が合ってしまった・・・。そりゃ、フツーじゃない形相で近寄って来たら、ビビるよなあ。
それはさておき、もうずっと先だと思っていた電動バイクが今こうして目の前を走っているのを見ると、思ってた未来はもうすぐそこだという気になる。例えば。燃料電池や、超電導技術が発達したり、太陽電池の技術が進化すれば、それこそ半永久的にクリーンなエネルギーで動くことの出来る乗り物が当たり前になってくる。
もしかしたら、100年後の空は、今よりずっと青いかも知れない。
気が付けば、ここのつぶやきももう1年と4ヶ月くらい続いてしまっているわけだけれど、最近どうにも「人が見ている」という意識が必要以上に働いてしまって、筆の走る先が思っていることと微妙に違ったりする。もちろん、「見てる」「面白い(そんなこと言われるわけないが)」と言ってくれるのはたまらなくうれしいけれど、愚痴なんぞをハデに言っていたときが懐かしかったりするのも事実。そしてそれは「こんなところ誰も見てないに決まってる」と思ってるから書けるものだったのだと、今さらながら思う。スポーツライターの金子達仁さんも似たようなことを、どこかのコラムで書いていた。
・・・まあ、こんな駄文でも人に読んでもらえるからこそ、書く意味があるのかもしれないけれど。一度初心に返って書けるように、最初から読み直してみようか。周囲の深読みや詮索も気にせずに。どこまで行ってもオレの「つぶやき」なわけだし。
普段の生活をいかにキチンとしたものにするか。それは一人暮らしの男の永遠の課題と言っても過言ではない。
朝飯は前日の夜更かしのしわ寄せで食べる気がしない日も多々あり、そのさらにしわ寄せで、ままならない体にムチ打つためにコーヒーを流し込む。結局終日体がダルいまま過ごし、家に帰ってもちょっとの手間を惜しまず作れば安い金額で済む晩飯も、外食に頼りがち。それでいてそのほかの時間を有効に使っているのかと思えば意味のないネット徘徊で時間を潰したりして夜が更けていく。部屋は誰も来ないと分かっている日は散らかり放題。あああ、なんとかしたいと思ってみるけど、タバコをやめたいと思っている人がいたずらに禁煙を口にするのと同じで、大して変えたいと思ってはいないのかも知れない。だから、永遠の課題、なのだ、きっと。
写真は仕事場のそばで見つけたシルバーのヴォーカル。えらいオンボロだけれど。これを見ると、宙くんのヴォーカルは本当にいい状態で使われていたんだなと思うコトしきり。そして、宙ヴォーカル以外に初めて見たという感慨もひとしお。