昼間、足立の加平にいる時に、まかべさんちが近いのでいたらちょっと寄ろうとかということになり、連絡したものの繋がらず、のぶ、じゃあ二、いづの一行は特に目的もないまま清水公園へ。
清水公園に着いたところでまかべさんから連絡があり、家にいるとのことだったので元来た道を帰る様な格好で市川のまかべ邸へ。タイミング良く連絡をしてきたハヤスや、飲む気満々で連絡してきたそのぴーにも声を掛け、気がつけば6人の宴会になっていたのだった(笑)
バイク組三人はノンアルコールビールで乾杯。酔えなくても飲んでる気分になってくるのはいつぞやの城南島バイカーズで経験済み。まかべさんも突然お邪魔してお騒がせしました。色々ごちそうさまでした。
死ぬほど暑くても、取りあえず走り出せば楽しい。気がつけば誰かが集まってる。やっぱりバイカーズだよなあと思う今日この頃だった。
旅、特に島旅に出かける時に必ず持っていく一冊の本がある。星野道夫さんの「旅をする木」だ。書いてあるのは極北に生きる人や動物の物語だけれども、旅先の待ち時間や、手持ちぶさたな時に無性に読みたくなる。
自分を取り巻くいつもと違う風景。想像することでしか今はまだ触れることの出来ないアラスカの地の風景。それがどういうわけか、実によく合う。
今日8月8日は星野さんの11回目の命日。忙しい毎日でもどういうわけか、この日が来ると周りの誰か、何かがそれを思い出させてくれる。今年は八丈島に行く時に「旅をする木」を手にとって、思い出した。もうすぐ一年に一度の日がやってくると。
帰りの船の上で読んだ「十六歳の時」の章の最後にこういう一編がある。
「バスを一台乗り遅れることで、全く違う体験が待っているということ。人生とは、人との出会いとはつきつめればそういうことなのだろうが、旅はその姿をはっきり見せてくれた」
あの時、あの時、と遡っていけば、そこには偶然としか思えない瞬間がある。今回の八丈島の旅をこれほど的確に言い表した言葉もないと、航跡を見ながら旅の終わりに感じたのを今日、ふと思い出した。