海の日の連休最後の日に、父方の祖母が亡くなった。94歳だった。海の日キャンプで西伊豆の浮島にいたところから、修善寺に出て伊豆箱根鉄道で三島へ、三島から東海道線で静岡へ。そこで親の車に拾ってもらい、東名高速を延々10時間。愛媛の丹原に着いたのは日付も変わって火曜日の午前3時半だった。
農協の葬祭施設の一室、畳敷きの普通の広い宴会場のような部屋に祖母の亡骸が安置されていた。そのそばに親戚が何人か、通夜も終わった安心からか、思い思いの格好でくつろいでいる。祖母の顔にかかった白い布を取ると、単に寝ているんじゃないかと思うほど、綺麗な顔が現れた。それだけで、なんだか祖母の人生がよいものであったと、ほとんど何も知りもしないのに勝手に納得してしまった。
告別式は子供の多かった祖母にふさわしく、沢山の親戚に囲まれてのものとなった。確かに涙もあったが、94歳も生きたのだからよかったねと言う言葉もよく聞かれた。まさに大往生ではないだろうか。
遠い親戚が多いので、四十九日を待たずに翌日に納骨を済ませることになった。その前に、母方の墓参りもしに行った。もしかしたら20年ぶりくらいかもしれない。記憶にないくらい昔のことだけれど、目の前に建っている墓がまだ綺麗なままで、祖父や祖母の時代はそう遠いものではないのだなあと、妙な親近感を覚えた。そして、ご先祖様にようやくお参りできて、少し安心感も覚えた。
納骨は暑い中滞りなく行われた。墓石の一部をずらして骨壺を中に入れる、という作業を初めて見る。もうこの中には先に4つのお骨が入っているのかと思うと、自然と手を合わせようと言う気分になる。
周りを見回すと、西日本最高峰の石鎚山系の山々の青々とした偉容と、暑さで少し元気のないミカンの木が広がっている。空は東京よりもずっと青い。そうだ、確かに小さい頃から知っている風景なのだ。ずっと忘れていただけなのだ。自分の中にはこの風景が原風景として、遺伝子として、ずっと残っているのだ。最後にそれを思い出させるために、祖母がここに呼んでくれたのかもしれない。