参った。何もかもほっぽり出して旅に出たくなった。
少しでも旅に心惹かれて来た人たちにとっては「今さら」という声が聞こえてきそうだが、初めて沢木耕太郎の「深夜特急」を読んだ。ハードカバー版の第一巻だけだが、もうこの旅の物語の虜だ。
成り行きで始めた文筆業がにわかに忙しくなり、さりとてプロの物書きにはなりたくない、断りの文句を考えているうちに外国に行くことになってしまった。行くならデリーからロンドンまで乗り合いバスで行くという、誰でもできそうで、しかし誰もしないような酔狂なことを真面目にやろうと考える。
デリーまでの切符を買うも途中で飛行機を降りられるというので、香港へ。香港では雑多で活気に満ちあふれた市場や通りに毎日のように興奮し、マラッカでは博打にうっかりハマり、バンコクやマレーシアの街を当てもなく彷徨う。満員の電車でシンガポールまで行ってみる。大抵は安いからと売春宿と大差ないところに泊まる。
最初から用意した辞書も地図もない。行ってみて取り敢えず話す、歩く、食べてみる。旅とはきっと昔からそういうものだったのだろう。いつの間にか、ひょっとしたらつい最近、便利になっただけのことなのだ。それを沢木耕太郎が教えてくれている。便利でない旅はしかし、見るもの、手に取るもの、全てが瑞々しくて、生々しい。それが文面から伝わってくる。
知らない土地にいきなり行ってしまい最初は途方に暮れるが、二、三日すると慣れて来て、面白いものが見えてくるようになる。旅の話しに限ったことではないだろう。まずとにかくそこに行ってみて、自分の身を置いてみる。言うのは簡単だが、人間分別が身に着いてくるとなかなかそうはできない。でも取り敢えずやってしまえ、例えそれが何かから「逃げるため」であったとしても。
旅の過程は文句なく面白い。でも一番気になったのは、旅のそもそもの動機が前述の、プロの物書きにならなければいけなくなってきた、それから逃げたかったと言う部分だ。「多分、私は回避したかったのだ。決定的な局面に立たされ、選択することで、何かかが固定してしまうことを恐れたのだ。逃げた、といってもいい。ライターとしてのプロの道を選ぶことも、まったく異なる道を見つけることもせず、宙ぶらりんのままにしておきたかったのだ・・・。」と、彼は言う。
逃げることから始まったと言える旅。ロンドンに着く時には何か他の「道」が見つかっているだろうか。次の巻が気になって仕方がない。
やっぱり〜!!『深夜特急』旅に出たくなるよね。あれ読んで、香港行ってみたくなって、スターフェリーに乗った。懐かしい。通じないところで通じる楽しさ味わいに行きたいなあ〜。
Posted by: しーしゃん : 2004年07月28日 23:53おお、行って来たことがあるのね。
さすが中国マスター(?)しーしゃん。
今でも香港の露店のにぎわいは、この本に書かれている通りなのだろうか?
ああ、中華粥食べたい。たらふく。
Posted by: いづやん : 2004年07月29日 22:45