第九話『漸増』



 一人の女が「負の空気」の流るるままにたどり着いたのは、陰気な街だった。
 無論、普通の感覚でもって見れば、そこそこ大きな都市と言う事になる。
(この街は病んでいる。
 塵のような悪意が混ざり合って淀んだ気が…「無念」が沈殿している。
 この一見華やかな闇夜の中に。 嘆かわしい)
 女は、頭を軽く振って、夜風に銀色の長い髪をなびかせた。
(もう、とびきりタチの悪い「情魔(じょうま)」の一つや二つは産まれているかも…ネ)
 女は歩みを進めながら溜め息をつくと、進入禁止のテープの前で立ち止まり、惨劇の跡を鋭く睨んだ。
(…これは明らかに情魔の所業。 嫌な魔力と被害者の無念がまだ色濃く残ってる。
 情魔の力は漸増(ぜんぞう)していく。 凶行を重ねれば重ねる程に。
 被害者の無念が情魔の新たな糧となってしまう。 このまま放っておいたら危険すぎるわ…)
 夜風の吹くまま、再び女は闇の中へ吸い込まれるように消えていく。

(どういった情魔であろうと、討たなければ負が負を呼び、世界の破滅に拍車をかける)
 女の唱える聞き慣れぬ呪文は夜風にかき消された。

『…お前達ももう知ってはいるだろうが─』
 小雨の降りしきる暗い空。
 昼から白色灯のついた教室は朝から肌寒かった。
 緊張、不安、畏れ、嫌悪、重圧、そんなものが垂れ込める薄暗い教室。
 今にも吐き気を催しそうな空気だ。
『また、怪死…という理不尽かつ残念な形で我がクラスの仲間が逝ってしまった』

 教師の口上なんかなくたって皆解ってる。
 「謎のバラバラ死体!綺麗すぎる切断面、使用された凶器とは!?」 
 「市内で高校生を狙う連続猟奇殺人・新たな事件との関連性は?」
 「冷酷非道、血管を余さず切断し出血多量で死なす。不気味な犯人像」
 「現場は血の海!!犯人の意図は?心理は?市内連続殺人事件を検証する」

 報道は、すでに濁流のようにたれ流されていた。 「一人目」の時は、まだ多くは語られていなかった。
 が、「二人目」の犠牲者が出ると、「一人目」との共通点や関連性から、一気に報道攻勢が盛り上がり始めた。

 海優は窓際に目をやった。
 今回の犠牲となった生徒の机に、ぽつんと置かれた瓶の花。
 冷気と陰りを受けて、元よりしおれかけていた花はより陰惨に見えた。
 同じ窓際の列には、小鳥遊の席があった。 意識せず、いつものように、海優は小鳥遊に目を向けた。
 小鳥遊もさすがに重くのし掛かる雰囲気の中、顔を伏せていた。
 いつもの頬杖。 瞳は前髪の奥に、口元は手のひらの中に。
 表情は、読めなかった。 海優は視線を自分の机に戻した。
 よもや小鳥遊は、今にも笑い出したい気持ちを必死にこらえているなどと、周囲に悟られる訳にはいかなかった。
(いい天気)
(血も滲んで流れてしまいそうな清らかな雨だよ)
(ふふふっ…あははは)
(雨が止んだら、また血を求めにゆこう)

『小鳥遊クンっ』
『うん? …っと!?』

 人影の無い休み時間の廊下はどこまでも暗かった。
(よくこんな所にいるって解ったなぁ…)
 海優はいきなり小鳥遊に抱きついてきた。
 冷たいはずの身体に。
 壁にもたれ掛かっていた彼の、脇から肩へ手を回し、胸に顔をうずめて密着した。

『お…沖野サン、ちょっと大胆だよっ…』
 てへへと照れ隠しに笑いながら答える。
 だが、そんな雰囲気ではない事は理解していた。
『小鳥遊クン…』
『…怖いの?』
『うん…もうイヤ…新聞もニュースも私のクラスの事ばっかり…』
『沖野サン、しっかり…』
『早く終わってほしいよ…!!』
『………』
 海優は号泣していた。
(ああ…涙にも、こんな温もりがあるんだっけ)
 当たり前の事が感慨深く感じられた。
(…涙の染み込んでる位置、もろ心臓…?)
 だからだろうか? 胸が痛むのは。
 時間が長く感じられて、抱き止めた海優の髪に手をかけたまま、顔を上げてみた。
 暗い窓から無機質な渡り廊下が、灰色の暗雲が見える。
『一体いつまで…続くんだろうね』
 小鳥遊の瞳は、冷たい風景を映しとったかのように深く、暗かった。
『うんっ…なんでうちの学校で…よりによって私のクラスばっかりなのっ…』
『大丈夫だよ、何も…うちばかり狙っている訳じゃ、ないと思うよ…』
 死んだ瞳、死んだ声。 死んだ唇が空虚な台詞を勝手に作って語り出す。
『本当に…本当に…そうかな…。
 でも、そんなのどうでもいい!
 学校も街も関係なく、痛々しい事件なんか無くなって欲しいよ!』
『そう…だね。 早く犯人が捕まればいいと思うよ』
 何故だろうか。
『……沖野サン、ごめんっ』
『あ…』
『僕も…ちょっと一人にしてくれないかな?』
『…あ、ごめん! 小鳥遊クンだって同じ気持ちだったもんねっ…?』
 小鳥遊は駆け出す。
 あの渡り廊下へ。

(胸が…痛い…)

 海優にすがられている最中から感じていた胸痛。
(どうして…)
 小鳥遊はその場に膝をつき、右手を床に、左手を痛む胸へとかきむしるようにあてがう。
(沖野…サン…)

(─それでも僕は血液の虜なんだよ)
 胸にあてていた冷たい手のひらを堅く握りしめた。



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