第六話『小鳥』
日曜の夜。
海優は風呂上がりに生乾きの髪を自室で乾かしがてら、教養番組を見ていた。
ガラパゴス諸島の自然と、そこに暮らす神秘的な生き物の紹介だった。
何気なく眺めていると、島に生息する小鳥についての解説が始まる。
ダーウィンフィンチと呼ばれる十数種類の小鳥たちは、ダーウィンが進化論に気付くきっかけになったと言う。
皆、元は同じ種でありながら、最終的にそれぞれの主食によって嘴の形や生態を大きく変化させていった。
サボテンを食べる小鳥、細い枝を槍のように足でもって操り、木の穴に潜む芋虫を捕って食べる小鳥。
多様な小鳥の知恵と進化に感心しているうち、とっておきの変わり者と言う風に更なる小鳥が紹介された。
ハシボソガラパゴスフィンチ、通称吸血フィンチ。
この黒い小さな鳥は、同じ島に生息するマスクカツオドリと言う大型の海鳥に近づくと、羽根の付け根をつつく。
そうして傷をつけて流れ出た血を、一心不乱に吸うのだと言う。
鳥類が鳥類の血を主食にする、共食いを連想させるような、世界で唯一の生態を持つ鳥─。
しかしそれを見ていた海優は、ゆるく笑っていた。
(なんか、小鳥遊クンみたいな鳥…)
翌日。 先週一緒に帰って以来、海優は小鳥遊の事を気にかけるようになった。
何だか弟のような感覚。 明朗でどこか儚い雰囲気のある可愛い男子だ。
皆が、彼が自殺を図ってから異様に明るくなった事を気味悪がっているが、いじめから解放されたからではないのか。
あれが本来の小鳥遊透なのではないか。
彼は微笑んでいた。 窓際の席、たった一人で。
『…あの人、何か怖いよ、付き合わない方がいいって…』
いつかの友人が海優に耳打ちした。
『そうかな…寂しいんじゃない?』
『…あんたが同情するのは勝手だけど…さ』
不憫そうな顔で、友人は去っていった。 小鳥遊と関わる以上、自分の友達までいなくなってしまうのかも知れない。
少し、胸が痛んだ。
だけど、あの子に惹かれるのは何故なんだろう。
海優は、今日も小鳥遊と下校する事にした。
友人はもはや何も言おうとはしなかった。
『いいの?』
少しはにかみながら小鳥遊は聞く。 うん、帰ろうと海優は笑顔で答える。
『よーっし』
何を張り切っているのかは知らないが、意気揚々と支度を始めた。
『ね、小鳥遊クン。 昨日のテレビ見た?』
『えっ何? 何チャンネル?』
『ガラパゴスの特集なんだけど…』
『ああ、あれ。 見てたよ』
帰り道、話題が合って、小鳥遊はご機嫌だった。
『あの…血を食べる鳥って見た?』
しばらく間が空いた。
『うん、吸血鳥だってね』
『なんか、この前の小鳥遊クンみたいで、怖いはずなのに和んじゃった』
『あはは…僕はわざと怪我させたりしないもん』
『ふふ』
異様な話題のはずなのに、何故だか二人は楽しく話していた。
『白状するよ、僕さ…血が大好きなんだよね』
『変わってるね』
海優はまだ、冗談混じりだと思っていた。 彼があまりに朗らかに語っているからだ。
『ね、僕の苗字の由来、教えてあげよっか』
『え?』
しばらく無言で歩いた後、急に小鳥遊が切り出した。
『そうだね、気になるな』
小鳥遊と書いて「たかなし」である。 それは気にもなって当然だ。
『タカってのは、あの鳥の鷹の事だよ。
乱暴な鷹がいなければ、弱い小鳥たちは安心して遊べると言うのさ』
『へぇ…』
まるで昔話のようである。 にわかには信じられない由来だ。
感心する海優。
だが、小鳥遊の表情が一瞬、変わった。
『ふざけてやがる』
まさに腹の底から湧き出した憎悪を感じさせながらも、それを喉元で受け止めたような、凍てついた表情。
『…えっと』
『ああ、ごめんね』
海優が戸惑うと、彼はまた温厚な表情に戻るのであった。
しかし海優には、冷たくどす黒く吐き捨てられた言葉の意味は痛い程に解った。
ずっといじめられてきた彼だから。
『小鳥遊クン、何て言っていいかは解らない、私も悪かったと思う。
でも今は。 今はきっと、一人じゃないから』
陽光が眩しかった。
『………ありがと』
彼の目に光るものがあった。
『君も、小鳥かなあ』
晴れた空を見上げて、小鳥遊が言った。
『私は…あれかも』
『なに?』
『血を吸われる方の、あの鈍い鳥、なんてね』
『…あは』
空には、純白のレースのように美しい夏毛をなびかせたサギが飛んでいた。
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