第十八話『対峙』


 冷たい風が二人の女性の衣服を、身体を駆け抜ける。
 にわか雨を経た夜の街は暦以上に冷え切っていた。
 濡れて漆黒のアスファルト、露を落としざわめく木々。 細く甲高い鳴き声のように深遠から生まれ唸る風の音。
 いや、それは二人の女性─海優とイスカの神妙に研ぎ澄まされた心情描写かもしれない。

『「彼」の魔力を感じるわ、さっきからずっと』
 風に銀髪を弄ばれるも、全く集中力に差し障りないように、強く視線をそらさず言った。
『小鳥遊クンの動きがわかるんですか…?』
『ええ、でもこれは私の力じゃなく、「彼」の邪悪なオーラが強まったから。
 「彼」はとんでもない化け物よ、暗黒時代を地でいくような殺人者…切り裂きジャックってとこかしら』
『………』
『今からそいつをとっちめて、みっちりと伐ち倒すけどね』
『………』
 海優の心は複雑だった。
『「彼」は犠牲者を求めて今宵もこの近辺をうろついているわ、犯行に及ぶ前に─』
『あなたは危ないからあくまで遠巻きにね。
 それに知り合いだったなんて言うと「彼」が避けてしまうかも』
『はい…私…小鳥遊クンの、その、死んだ後の話を知ってとてもショックだったから』
『無理は、しない事ね』
 冷徹に力をたくわえながらも、イスカは海優をそっと気遣った。

『─近い、悪霊の唄が聴こえてくるようだわ。
 恐ろしく─冷たく冴えた紫の─全身が刃物のようなオーラを纏って─』
 イスカは目を閉じて邪悪なエネルギー体を分析する。
『獲物が見つからなくて苛ついているようね─こちらから仕掛けた方が有効かも─』
 目を開け、闇の中からゆるりと歩いてくる恐ろしき力を積んだ駆死者の方向を見据える。

『…あはっ』

(この笑い声…小鳥遊クン!)
『そっちもお気づきのようね、少年駆死者』
『ええ…僕もだんだん人間から遠ざかって新たな感覚に目覚めたみたいです。
 今や躯を霧─いや灰にするのも意志でできるようになったし…応用で飛べるようにさえなりましたよ』
(小鳥遊クン…っ)
 海優は未知の「駆死者」小鳥遊の風体に涙があふれていた。
 自分にも、誰にも決して見せる事の無い─押し隠してきたもうひとつの闇の姿。
『久し振りじゃあないですか…おばさん』
『挑発にしても稚拙すぎるわね』
『あははっ、今夜は雨が降った後だからか人がいなくてねえ。
 なんだったら、もっと強力になった僕と激突でもしてみます?
 魔女の血肉には大いに興味ありますよ』
『ふふ…話が早いじゃない』

『はあっ!』
 手にした縄は、イスカが念を込めるとぴんと真っ直ぐに立ち光り輝く。
 そしてそれはみるみる形を変えてイスカの身体を防御すべくリング状に纏わりついた。
『そうすると斬れないのかな、ふふふ。
 でもねっ僕の憎悪の刃は血を吸い続けてよけいに斬れるように…なったんだよお…』
 「彼」は静かに不気味に笑う。 炎のように紫色のオーラが「彼」をとりまく。
『ちょーっとカッコつけちゃおっかなー!』
 「彼」は邪気の紫の中心で、両手をおもむろに高く上げた。
『ふっ!!』
 その両手を、交差させながら勢いよく振り下ろす。
 うずくまるように背を丸め交差した両腕を強調するポーズ。
 程なくして、浮き上がる光。 指と指の間に浮かぶ、四枚の輝く剃刀。
 いや、さらに残像のように剃刀型の幻影は無数に散らばる。 羽毛の如く。
 その姿、まさに両翼を広げた凶鳥。
『そっちは随分と派手になったようねぇ』
『ええ、僕は─この際あんたの言う駆死者でも、完全に人を超えた存在に進化しましたから』
『あっそう…じゃあ、来ればっ!』
 イスカの紐が更に光を増す。
『あはっあはははっ、魔女もズタズタですよおお!!』
 「彼」はさっぱりとした顔で憎悪の刃を振り上げて横飛びにイスカへ急接近する。
 一方イスカは二度三度紐を振る。 それだけで「結び目(ノット)」はできあがっていた。
 四方向へ花びらが伸びたかのような形に。
『っああぁ!!』
 「彼」が吠える、空中で身を捻り渾身の死せる力を女に叩きつける。
 海優は思わず顔を覆った。
 はらり、と光を失った縄の切れ端が落ちる。
『成る程ね』
 イスカの長い銀髪も千切れ、数本、闇夜に舞っていた。
『一つノット…力を込めて…』
 臆することなく「輝く紐」を操り小鳥遊の襲撃を凌ぎ続けるイスカ。
『ほら、ほら! スライスされちゃうよっ』
 一貫してハイの小鳥遊。 瞳は紅く、赤紫の光を放つ。
 完全に人ではなくなったもの。

 海優は涙をこぼしながらも、小鳥遊と─小鳥遊の虚像と「唯一」触れ合うことができた人間として、その姿総てを見届けなければならないと言う念に縛られて目線を向け続けた。
 ここ数日間、幻視、幻聴、触感や存在感までもが、海優にはあった。
 小鳥遊は、この世には存在しない。
 それが沖野海優ただ一人を除いたこの世界の答えだった。
 自分が見て、語りかけ、応え、触れ合ったあの少年は。 あの少年は今も自分の中と言う世界の狭間に確かに存在していて。
 誰もが姿無き─「透明な」存在と認識していたとしても。
 自分の中には確かに「彼」の残り香があるから。
 残り香、海優にはこうとしか表現できなかった。 冷たい躯。 温もり、では決してない。
 だから、どんな姿になり果てようとも、自分は「彼」─小鳥遊を見届ける。
 見開いた瞳から涙を溢れさせながら。



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