第十五話『失踪』


『わが…っ、わがったからもう許じ─』
 貴金属泥棒の中年男は盗品をアスファルトにばらまいたまま、そう絞り出すとともに絶命した。
『はぁ…不健康な血〜』 「彼」はだらだらとやる気なく立ち尽くしながら男を看取った。
『さてと、乾かないうちに、サインサイン』
 無邪気に血糊をすくうと、「彼」は宝石店のシャッターに指をなぞらせた。
 「執行人」。

 小鳥遊が失踪─海優の前に姿を見せなくなってから一週間。
 その間も猟奇殺人は続いたが、かすかに変容が見て取れた。
 ターゲットの移り変わり。 若い生徒から、何らかの犯罪を犯した者へ。
 集団の少年による路上強盗犯を皮切りに、犯罪者が犯行後ほどなく、何者かに同じく不可解な手口で惨殺される。
 以後、被害者の血液で「執行人」と書かれるようになった。
 変化はあれど、無惨な手口も、凶器や犯人の人体組織がまるで見つからない事は以前と変わらなかった。
 人々はいつしか姿形のわからない「彼」を「執行人」と呼ぶようになった。
 殺人犯が犯行のほんの数メートル先で惨殺されている事もままある。
 警察も世間も「執行人」の謎めいた存在に右往左往した。
 中には「彼」を法では裁けない者に制裁を与える使者のように崇拝する向きまでもにわかに起こり始めた。
 だが、血を血で洗う事に変わりは無い。
 そしてまた、「彼」に挑戦するかの如く凶行を犯す者もいる─。

『ざまぁ見やがれ、「執行人」!』
 目も半開きのまま、ナイフで何度も何度も刺され殺害された店員。
 売上金と金庫の札をバッグにしまい込むヘルメットを被ったコンビニ強盗の男、血気盛んな若者であった。
『ここまで逃げりゃあこっちのもんだ』
 エンジンがかかったままのバイクにまたがり、ライトも点けずがむしゃらに猛スピードで走らせ夜の道へ飛び出していく。
『俺はあんな化け物より…』
 街灯の影、血の薫りを嗅ぎ付けた少年がうすら微笑んだ。
『ばーか』
 
 夜の高速を無灯火のバイクが一台、地獄へ向かって暴走し続ける。
『…ッ!?』
 その最中、ハンドルを握る男の右手からプシュッと軽く血飛沫が飛んだ。
『死刑執行人から逃げられると思ったら、大間違い…あは』
(ちくしょうめがッ!!)
 バイクのメーターは更に上がる。
 真っ直ぐな闇へ向かって。
『注意はしたからねっ、悪い事するアナタのせいですよー?』
 猛スピードのバイクに「彼」の声など届かない、はず、だった。
『な…』
 瞬時にして、少年はバイクの後ろに乗っていた。
『ざーんねんっ、逃がさないよ』
『なっ…なんなんだよ、お前はぁー!!』
『はいはい、前向いて、安全運転でね』
 少年は終始クスクス笑っている。
『ごちゃごちゃ言ってねーで、さっさと降りろ、降りろよ!』
『あは、こんなスピードで降りたら死んじゃうでしょ』
『…君がね?』
 「彼」は微笑んだ口元の下、喉元に人差し指をあてがい、ゆっくりと斬るゼスチャーをしてみせた。
『ほら…、ちょっとした手品だよ、やってあげる…』
 後ろからか細い少年が身を乗り出す。
 妖しく冷たい腕を男の首筋に回す。
『あっ…あぁ、うわああああぁーっ!!』
 見えない刃物、闇に浮かぶ刃物。
 男がそっと「彼」に首筋を撫でられただけで、自身の血液が大量に漏れて行くのが解る。
 急激に下がる体温。 止まらない大出血、軌道を外れる暴走車。

 ─クラッシュ。

 ついにはブレーキを切り損ね、真っ赤な長い道筋の果てに、男はバイク同様バラバラになった。
『あーあ、自滅しちゃった』
 何事も無かったように地面に立ち、血にまみれながら爽快とまで言える笑顔で死骸を見下ろす「彼」。
『あっ、サインサイン…うーんと、ここがいいや』
 「彼」はまだ鮮血を吹き上げる離れかけた男の首からたっぷりと血をすくう。
 男のバイクの断片に書かれた血文字。
 「執行人」。



表紙へ 前へ 次へ