第十二話『討伐』


(ああ、また込み上げる、夜になるとやって来る)

 真っ暗な部屋、音声の消された小型テレビ。
 埃を被った勉強机。
 フローリングに膝を抱えて座り、ぼんやりとテレビの明かりを見つめるのは誰でもない小鳥遊であった。
(やめなよ、B級サスペンス映画だなんて。 僕を挑発するようなものはさ)
 小鳥遊は無表情に、膝へ口元をうずめていた。
 ただただ虚ろな目に映像だけが流れてゆく、死んだ瞳に光彩だけが叩きつけられていく。
(ああ─血が見たい、ほら今夜もまたやって来た、もう何も考えられない)
 死せる少年は音もなく立ち上がった。
 テレビは勝手に消える。
(くくくくく…あはははははははははは)
 死んだはずの息子の、時間の止まった部屋。
 小鳥遊はその部屋の窓を開け、また深夜の街へと放浪を始める。
(父さん母さんごめんなさい、あははははっ!)
 窓は静かに閉じられ、かつての「小鳥遊透の部屋」には再び誰もいなくなった。

(血が見たい、甘い血の香りが欲しい、優しい温もりを持った血、女の子がいいな。
 でもこんな時間に女の子なんてなかなかいないよね、ああこの際女の人なら誰でも)
 魔性に染まりきった「彼」は衝動と欲望に突き動かされるまま、ふらりふらりと夜道を彷徨った。
『まるでゾンビね』
 闇夜によく澄み渡る鵺(ぬえ)のような声。
 女の声だ。 「彼」は薄笑いを浮かべてゆっくり振り返る。
 消えかかる街灯になびく銀髪─あの女、あの「魔女」だった。
 「彼」のほんの5メートル程先に立っている。
『失礼です…僕はそんな汚いものじゃない、せめてアンデッドって言ってくれません?』
『ゲームか何かで覚えたの? 何だかよーく解ってるみたいじゃない…』

『駆死者(くししゃ)』

 女は一言、単語を突きつけた。
『大体、あなたみたいなのは総じてこう呼ばれるのよ。
 生ける屍。 決して生命ではない魔力(ちから)で駆られ動くモノ達。
 タチのいい奴なんか一人もいない。
 死体に宿りし情魔と、故人の持つ屈折した無念が共鳴して─』
 直立不動の女が矢継ぎ早に言葉を連ねているうち、痺れを切らしたように「彼」が動いた。
『よくわかんないけどアナタは只者じゃあないんですねっ、おばさんっ!』
 両手に剃刀、合計8枚の「憎悪の刃」を扇のように現して、凶悪なる「駆死者」は走り、幻の刃を振り上げる。
『来なさいな、ちっぽけな駆死者』
 女は不動のまま独り言同然に呟いた。
『…っん!?』
 周囲に散りゆく破片のイメージ。
(「憎悪の刃」が欠けた? なんだこれは…)
『無駄。 私の周りには結界がある』
 女が言うまでもなかった。
 輝く紐のようなものが宙に浮かんで渦を巻き、女の身体を取り囲んでいるのがはっきりと見える。
 その紐には一定の間隔でこぶが作られ、そこから一際強い光を放っていた。
『魔女の結び目(ウィッチズ・ノット)。
 謂わば魔女術のおまじないよ』
『魔女…? 訳わかんない事を…つくづく変な奴っ!』
 何事もなかったように再び浮き上がった「憎悪の刃」をたたえ、「彼」は言い捨てた。
 だが、内心は焦りを隠せない。
 不可思議な力に護られた謎の女。
 こればかりは相手が悪い、何より斬りつけられない人間など「彼」には無用だった。
『逃がさないわよ…凶悪な駆死者!』
 この場から去ろうと考え及んだ「彼」の思いを見透かしたように女は語調を強めた。
『あなたが惨たらしく、この邪悪な力で葬り去った人達…一人、二人…四人も。
 これ以上、あなたの好き勝手で世間を乱させはしない。
 何よりあなたは─もうこれ以上どうしようもない化け物でしかない。 私はそれを伐ちに来た』

『…覚えておきなさい、私の名はイスカ。
 ─現代(いま)を生きる魔女よ』
『あ、あはっ…、さっきから魔女魔女って、それこそゲームですか?
 僕はただ血が大好きなだけのフツーに死んでる男の子ですよー…だ』
『虚勢を張るのは止めなさい。
 解っているじゃない、あなたはとっくに死んでいるはずなの。 現世に居場所は無いの!
 それがまかり間違った悪意の力で留まり続け…凶行を繰り返してる』

『さあ、無に還りなさい』

 イスカと名乗った女は、どこからか長大なピンのような物を取り出した。
 顔の前にかざされた銀色のそれは胸の下程まである。
『それは』
『杭よ』
 イスカは冷徹の表情のまま宣告した。
『駆死者を無に還す法は2つ。
 あらゆる思念の宿る首を落とすか、この銀の杭で想いの源たる心臓の位置を貫くか。
 私はまだましな方を選んで、これを調達してあげたわ。 だから…』
 イスカは、若干後ずさっていた「彼」の元へ一歩一歩近づいてゆく。
 唐突に訪れた終焉に、彼は動けない。
『くっ…』
『さあ』
『く………』
『………』
『くそぉっ!!』
『!?』
 イスカの視界から「彼」の姿が一瞬、消えた。
 「彼」の姿形そのものが煙のように霧散していた。
『変形する力まで!?
 いえ、これは…灰!』
(あるべき姿─彼は死んだ…つまり死した後の灰に変化したと言うの!?)
『僕は…あんたなんかに殺される気は無いよっ!!』
 不定形にうごめく灰の中から怒りの籠った「彼」の叫びが聞こえた。
『しまった…!
 下手に追い詰めたせいで新たな力を発現させてしまった!』
『あばよ、魔女のおばさん!!』
『くっ、不足だったわ、捕まらない…!』
 灰状になった「彼」は、捨て台詞を残して風のように散り、瞬時にしてその場からいなくなった。
(なんて事…子供だと思って油断した…!
 また、やり直しだわ…漆黒の子供にして最悪の駆死者!!)
 イスカは立ち尽くし、悔やむ他は無かった。
 だが、彼女は再び「彼」を伐つべく、煌めく銀の杭を堅く握り締めた。



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