ようやく「第七夜」最終日である。ああやるんじゃなかった寝不足だ(笑) とりあえず色々吐き出したのですっきり。しばらくLOTRネタをやらずにすみそう、かも。
最終日は「ミスキャスティング」。結局、誰の責任だったのか。勝手に推論。
このランキングはランクの下から解説していくことにしよう。
5位。「該当なし」というのは、この映画がキャスティングに関してはかなり高いレベルで原作のイメージを再現していたことへの証明になる。もちろん誰にとっても完璧、というキャスティングは存在しないが、それでも大多数の人を納得させた監督の手腕に敬意を表したい。
4位。「マートン・ソーカス」って誰?と思ったあなたは正しい。自分もさっきキャストの名前を調べてしまったくらいだから。彼はその名前と同じく劇中でも目立たない存在である。偉大な妻を持つとやりづらいなあと思う。ええと、ロリエンのガラドリエルの夫にしてガラズリムの王、ケレボルンである。ガラドリエルの夫なら、もうちょっと見目麗しい人でもよかったのでは? そして一番ダメなのは、ヒゲのそり跡が青々としていること! 初めて見たときのがっくり加減ときたら!
3位。もう言うことはない。唯一の功績といえば、このヤンキー娘好きのハヤスにLOTRを見ようと思わせたことくらいか?(笑)
1位と2位は一緒に述べることにする。この二人に関して言えば、1位、2位という順位付けに意味はほとんどない。なぜ主役をはるこの二人がミスキャスティングなのか。一言で言ってしまえば、「なぜフロドが指輪所持者であるのかが全く伝わってこない」から。
ビジュアル、演技ともに申し分ない。イライジャ・ウッドのフロド、ショーン・アスティンのサム、二人とも素晴らしいと思う。だが、多くの人が言っているように、映画を見ただけでは三部作の最後までフロドがなぜ指輪を持っていかなければならなかったのか、誰にも説明しようがないはずだ。あるいはあえて言うならば「純朴そのもののホビットの中で、さらに純粋で指輪の誘惑に長く抗し得るから」というところか? 「フロドがあんなだったらサムが持って行けばいいんじゃないの?」と思うのも当然だ。その原因・責任は、この二人にあるのではないかと思い始めた。
イライジャ・ウッドは、FotRが封切られる前に、雑誌「PREMIERE 2002年4月号」と翌年の「2003年3月号」で、はっきりと原作「指輪物語」を「読んだことがない」と告白している。他の雑誌やメディアのインタビューでは「昔から好きだったよ」と答えているが、これは明らかにリップサービスという名のウソだろう。自分の印象をよくしようと「読んだことがある」と答えはしても、「読んだことがない」とは答えないからだ。つまり、「読んでいない」が彼にとっての真実だろう。
脚本を書いてフロド像を創り上げるのはもちろん監督と脚本家の仕事であるが、PJはキャストたちからのアウトプットを積極的に取り入れてキャラクター作りに反映させていたと様々なインタビュー、メイキングで言われている。もし、イライジャが原作のフロド像を少しでも理解していれば、今とずっと違うフロドがいたはずだ。
そして、ショーン・アスティンは、TTT SEEのオーディオコメンタリーで、ラルフ・バクシ版LOTRのアニメの話を持ち出し、「サムをあんな間抜けに演じるのは耐えられない。僕は英雄的に演じたいと思った」と述べている。サムを「英雄的」と見るのは原作既読者でも同じだが、物語の最初からではない。彼はただ主人を助けて故郷に帰るために頑張って、結果として周囲が彼を英雄として見ただけである。そしてオーディオコメンタリーを見ていて強く思ったのは、このショーン・アスティンという俳優は、かなりの能弁家でしっかりした自分の意見を持ち、思ったことをどんどん(時には人を押しのけてという印象も受けた)言うタイプだと気がついた。
イライジャとショーンの二人が演じるフロドとサムは結果どうなったか。サムは自分の意見をどんどん主張して主人に役目を果たさせようとする。時には励まし、時には叱責(!!)しながら。ファラミアに意見したり、情けない主人の尻を叩くことなんて当たり前のサム。一緒にいるフロドは、そんな「良くできた」連れの影響と、指輪の魔力をことさらに強く描こうとする脚本の意図に挟まれて、「脳みそを抜かれた」フロドになった。つまり、なぜ自分が指輪所持者なのかさっぱり分からず、指輪に蝕まれるただの生け贄の子羊のようなフロド。
もしこのような状況であってもイライジャが原作のフロド像を知っていて、指輪所持者のなんたるかを把握してさえいれば、「勇者サムワイズ」殿を元の「庭師サム」にしておけたかも知れない。もちろん、全く原作通りがいいなどと思い上がったことを言うつもりはないが、映画LOTR全体を貫くテーマが「指輪所持者とは?」という意味の部分でぼやけてしまっていることに、とても残念でならないと思うからである。もし「やはりフロドが指輪所持者でなくては!」と誰もが思えるような脚本だったら、本当に50年後も語り継がれる映画になっていたかも知れない。
正直今までのランキングでツッコんできたことのほとんどは、シャレである。このフロドとサムの立場、キャラクター像はなんとかしてほしかったということだけが本当に声を大にして言いたかったことだ。それにしても・・・フロドにいくつかの台詞を言わせるだけでもかなり印象が違うと思うのだがなあ。
もしかしたら、PJは原作に近いフロド像での撮影もしているかもしれない。FotR公開前に、三作とも公開時期を決めてしまったがために、編集の段階での推敲が時間切れで思うように出来なかったのかも知れない。何年後かに出ると噂されるSEEボックスセットで、思い直してフロドの聡明さを目の当たりにするような場面を追加して来るかも知れない。PJのフロド像とはいったいどういうものだったのか。RotK SEEで多少なりとも知ることが出来ればと願うばかりである。
一週間かけて言いたいことを無責任に言ってきたが、オレは原作至上主義者でもなんでもない。映画版LOTRを愛しているし、実際映画館には呆れるくらい通ったし、DVDもSEEだけあればいいだろうに、劇場版CEも持っている。ただ、他の映画については語れないが、この物語は原作ファンを長い間やっていて、多少なりとも映画、原作両方から少し突っ込んで語ることが出来るだろうと思ったので、書いてみただけである。もし、これを読んだ人が自分と違う意見でもそれは当たり前だと思う。不愉快になってしまったら平謝りするしかない。・・・でもほら、第一夜の時に、「独断と偏見と偏愛と極論に満ち満ちていることをあらかじめ肝に銘じて読んで頂きたい 」って書いておいたし、大丈夫だ、きっと(笑)
投稿者 いづやん : 2004年09月07日 03:22 | トラックバックいやなんだかよくわかんない文章だわ・・・。
異論反論いくらでも受け付けます。すみません、ホント。