第二十話『決別』
『沖野サンっ!』
小鳥遊は彼女の名前を、いつもの生活の欠片の如く、明るく、満面の笑みで呼んだ。
『たかなし…クン…』
解っていた。
彼の躯に温もりなど無かった事。
首に刻まれたあの傷痕は死の刻印に違いないと。
生きながらにして─死んでいた事。
『沖野サン、泣かないでよ、僕はどうしようもない罪を重ねてきました。
けど、今から言うのは嘘じゃないから、聞いて欲しいんだ』
『沖野海優さん。 君が好きです。
ずっと前から、生きていた時から、好きでした』
『………っ』
告白、そのもの。
海優は泣き崩れた。
『ごめんっ…ごめんなさい…本当に…』
『どうして泣くの…僕こそ、ずっと言えなくて、それこそ僕こそ謝りたいよ。
こんな根性無しで、ごめんなさい…なんてさ。 あは…』
『なんで、気付いてあげられなかったんだろうって…。
小鳥遊…透くん。 生きていたあなたは、いつも怖い人達に痛めつけられていて…その』
『…沖野サンが好きだったから、わざと目の前で…あんな事とかさっ、思い出したくないけど…。
みっともない所、情けない所、恥ずかしい所、いっぱい見せつけられてたでしょ。
だから、沖野サンは僕の事なんか、ゴミのような奴だと蔑んでるんだって…思ってて』
『ごめんなさい、助けてあげられなくて。 透くんの全てを、助けてあげられなくて』
『いいんだよ。
僕は、変な話だけどさ、死んだから君と友達になれたんじゃない?
生きていて、虐められっ子のままだったら。
もしもそのまま何も吹っ切れない意気地無しのままだったら。
きっとキミに近寄る事なんかできやしなかった』
『友達なんかじゃない』
『えっ…?』
『私も、透くんが大好きだから。
人懐っこくて、明るくて、優しくて…、ずっと潰されてきた、本当のあなたが好き』
『あは…は、そういう意味かぁっ…照れちゃうな』
『でも』
小鳥遊は遠い目をしてみせる。
『僕は、沖野サンを騙してもいたんだよ…。
悪い事をたくさん、たくさんしたんだ。 異常な性癖に任せて…』
『う…ん』
海優は頷いた。
胸を痛め、怯えた、数え切れない残虐な事件。 それは小鳥遊が犯していたという事実。
『全部受け止めてくれて…ありがとう。
言い訳しかできない、僕は血液に異常に執着してた。
君の血さえ欲しくて、君の心臓に触れたいと思う程に。
僕は、死ぬ前から…異常者だった。
たくさんの血を見るとね─いや、さすがに言わないけれど…。
僕がアンデッド…駆死者奴になったのも、その欲望からなんだ。
それは汚い、汚らわしい残虐な欲望なんだ』
『うそ』
海優は、弱々しくも、小鳥遊の目を見据え毅然と、言い切った。
『え…』
『うそ、嘘だよ…きっと透くんがこの世界に居続けようと願ったのは─確かにそれもあるんだと思う。
でも、言ってくれた。 死んでしまう前から、私が好きだったって。
そうでしょ?』
『…そうだけれど…』
小鳥遊は絞り出すように応えた。
『パンドラの箱』
『………?』
『きっと、今の透くんが、悪意で駆り立てられた姿だとしても、きっと、その中には希望があったんだよ』
『希望…沖野サンへの?』
『せめて私は、今だけでも信じていたい、今だけ…惨劇に目を閉じて』
『沖野…サン。 君って娘は』
『…杭を、貸してください』
小鳥遊はあたかも泣くかのように顔をがくりと伏せ、イスカに頼んだ。
『何を…するつもり?』
ふたりの長い長いやり取りをじっと見ていながらも、「駆死者」の言う事に少々いぶかしげに反応した。
『沖野サンにその杭を託してあげてください』
『…もしかして』
『ええ。
僕の罪も、愛情も、全部を受け入れてくれた素晴らしいあの人に、葬られたいんです。
沖野サン? いいね?』
『とっ…透くん!
そんな、あんな物を刺すなんてできない!』
『…僕は、もう人じゃないんだよ。
この世に居てもいけない、間違った存在。
ね、話した通りだよ。 君を…その、愛してる。 だから君には、僕を討つ権利がある。
他の奴じゃイヤだもんね、抵抗しちゃうよ』
『透…くん』
『泣かないで。 殺人を犯し続けた事、それを君に隠して騙し続けた事。
みんな、僕自身の大罪。 だから君の手で、この悪魔を、討ち消すんだよ、さあ早く!』
『透…くんっ!!』
─全てが、悪夢からでも醒めたかのように消えて無くなった。
風が吹き抜けていく。
木々をざわめかせながら、深い、深い、闇夜の中へと。
彼女は彼の、情魔が巣喰い魔力の根源となると言う心臓の位置に銀の杭を突き立てた。
刃物のように尖った三日月の明かりが、きらりと反射された。
それは決して人を突き刺すと言う行為ではなく─。
まるで吸い込まれるように、神聖な光を放ちながら、杭は彼の胸を容易く貫く。
そして、彼は消えた。
焼かれたはず彼の躯の灰のように、塵となって、今彼は風の中へ霧散していった。
最後の表情は、真剣で、それでも愛する人に自らを浄化してもらう事に満足するように、微笑んでいた。
手を、海優の胸にそっとあてがったままで。
血を求める嗜血症者ではなく、ただ純粋に、自分と違って生き、愛してくれた者の鼓動を感じながら。
|