第一話『流血』
帰宅後の愉しみ。
制服のまま勉強机に向かっていても、全くろくでもない事をやっていると、彼は自覚している。
父さん母さんごめんなさい、などと、半笑いで頭の中で言ってみた。
机には針箱からくすねてきた縫い針があった。
針一本、
自分の血を見ると、何故だかイヤな事を忘れられる。
二本目、
いつもみたいに制服を足跡だらけにされて帰った事とか。
三本目、
可愛いあの娘の前で半裸でイヌにさせられてた事とか。
四本目、
ついさっき、自分がひどく殺気立って復讐心と呪詛の念に悶々としていた事とか。
五本目、
自分の身体にはいつでも痣があるから。
六本目、
痛みも傷もどうだっていい、ただ血を見られればそれで全部いい。
七本目
右手で、左の人差し指だけに、痛みと妥協しながらも無心に針を突き刺し続ける。
八本目、
さすがに指先が針山になってしまった、じゃあ、そろそろ。
と、彼は刺していった針を一本ずつ抜いていく。 指先は鬱血し痺れていた。
その指先へ右手をあてがって、軽く圧迫するだけで、楽に赤い滴ができあがる。
出血したばかりの不透明な滴はとても美しい。
『あ…』
いっぱいに膨張した小さな血の滴が、ささやかな限界点を超えて筋になってしまった。
しかしまたそれも乙なもので、より力を込めれば別の傷から滴が流れ、鮮やかな筋が枝分かれしていく。
生白い腕の上に。
相応の痛みもあるはずなのに、彼は自分の血を見ると恍惚となってしまう。
どうして、こんなに「血」に惹かれるのかはわからないし知ろうとも思わない。
虐めを受けているから、その鬱憤を自らにぶつけているにすぎないんだ、僕には虐める相手なんていないんだから。
遠い日、幼い頃にガラスの破片で手を切った時、見事な切れ味に半ば感心してじっと血を見ていた。
ぼーっとしているうちに母親が叱るように声を荒立てて手当てをしたけど、自分はただ(それは見事に)痛みもなく溢れ出した血をずっと見たかった。
いかん、いかん、何を思い出に浸っているのだろう。
今わざと作った傷は、絶えず痛めつけなければすぐに塞がってしまう。
えいっ、とちょっとおどけ気味にギュッと人差し指の先端に圧力をかけると、どれかの針が毛細血管に当たったらしく、小さな飛沫が机の上に舞い散った。
『…あは』
さすがに痛みを堪えただけあって、素晴らしい光景が見られたと彼は震えた。
小さく可愛い血飛沫がまだ赤々と白い机に刻まれている。
指からも、どくどくと濃い血が嬉しいほどに流れ続ける。
だが針を使った悪戯に慣れた彼は、これらもしばらく流れ出たら止まってしまうなと悟った。
机の上の血飛沫は、微量故に既に乾き初めてしまっているし、血を弄んだ彼の右手についた血も、ベタベタしている。
ああ、どうして血はこんなに綺麗なのに乾いてしまうんだろうか。
しかも色は黒ずみ、質感もパリパリに乾燥しきって、醜い事極まりないじゃないか。
(…今日はこの辺で終わりにしようかな…)
彼は、気取ってまだ生々しく流れている血を獣か何かのように舐めとった。
肌についた血は、乾いてしまったものも全部、舌で処理をした。
血液への執着と快楽、そんな嗜好を持つ自分へのナルシズムも合わさって、彼の奇妙な性癖はすっかり満たされていた。
どうして、血はこんなに魅惑的なんだろう。
彼はまだ血の味がする唇を舐め、目を細めた表情でうっとりと呟いた。
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