2004年11月02日
レッスン
長いこと更新をさぼってる間もたくさんのことがあって、たくさんのことを思って、どれそれいろいろとあれこれしていたわけですが
・ガンジーさんのカセットテープの中に閉じ込められたことばに意味以上の時間と空間を発見したり
・デビッドのレコー議でレコードが実際に針が盤を擦ってる音だということを肌で感じたり
・祭りの撮影に行って台風のような力の移動を目の当たりにしたり(※1)
・cubis/mzkでぶっ通し延々サウンドチェックのようなことをやり続けたり(※2)
・信記さんの結婚式3次回で新バンド結成したり(※3)
・去年のFBIのDVD編集に着手したり(※4)
で、昨日は京都造形大の学園祭で大雪渓のライブ。デビッドを迎えての「レッスン」という曲を、客席のアリーナに円形になってくるくる回りながら演奏。やっててすごく楽しかったし見にきてくれた人や紹介された人たちから嬉しい言葉をもらったりもしたけど、折角PA無しでやってるのに残念ながらアリーナまで降りてきた客は少数。あれじゃー僕らのやってることは半分も伝わらない。音の動きも聞こえてこない。だから僕らも大振りになる、てな悪循環。やり方をもっともっと考えねば(※5)
あ、と、こないだ久々に指(吸)くんのライブを見たけど、あらためてすごい。やっぱ生はいいなーと思った
※1)祭りが人に及ぼす影響力について以前ラーメン屋でMAPの小田さんが「自分の理解をこえていてアイデンティティーを揺さぶる」みたいなことを言ってた。そのときは儀式や信仰などを絡めつつ自分は何を信じて生きているかみたいな話にまでなってって、一緒にいた江崎さんもいろいろ深い考察をしていた。祭りについてはカフェ企画で取り上げるようなこともやってみたいけど、客来ないだろうなー
※2)これそのうちまたやります。作品はコンセプトそのものなので、テクニカルな面をもっと強化して、もっと客と距離を置いたかたちで
※3)メンバー間の音楽に対する認識と方向性の不一致で解散。てんとう虫のサンバを振り付きでやりました
※4)今年のFBIで売れるといいけど、作業の進み具合的に難しいかも
※5)Gtのぱぱ君の言葉を借りると、大雪渓は「違う角度から星を見たい」音楽・・・・です
× × × × × × × × × × ×
ものっすごい微妙なことがしたい
投稿者 umedatetsuya : 02:22
2004年09月26日
大雪渓
部屋の片づけをしてたらメモのような紙切れがどんどん出てくる。それは大半の落書きに混じって、風景のことば、日常の会話から拾った台詞や思いつきの文字列だったりあらゆる面にトッチラカッタ内容で、そのほとんどは書いたことを忘れてしまってる。うろ覚えながらも通過してきた時間に沿って並べ直してみると、自分の興味の移り変わりが見て取れる気分にもなる
そのとき最も興味があることはそのときのものでしかないし、タイミングを逃すと似たような瞬間でさえなかなか巡ってこなかったりするので、そういえばこの頃こんなこと考えてたな、とひとつひとつをあらためて新鮮に感じたりして。それでも、随分前にやっていた、やろうとしていたことが一周して明らかに別の角度から面白く感じることもあって、これはきっと切り取られた日常から何かをキャッチしながら、日々の興味が変化していくこととリンクしているんだと思う
作品はそういう意味でもやっぱり即時的なモノだと考えるし、個人の場合、時間をかけて作品を詰めるにもその都度の興味に忠実であれるあたりが楽だったりする。たとえば僕は節々に想像の入り込む隙間があるような風通しの良い作品が好きで、先々もっと不安定になりかねない危うさに満ちた状態に魅力を感じるのだけど、この辺のニュアンスは微妙で主観に拠る部分が多く、人に伝えるのは難しい。だから、ここ数年は人と作品を作り込む作業から離れつつあったし、やろうにも自信がなかった、というか今でもあるというわけじゃないけど・・・
集団で明確なビジョンを持って心血注いで完パケしてどうだー!みたいなことは答えが別のところに見えてしまって恐ろしいけど、大雪渓はそれぞれが個人として関わることを前提として、お互いが何となく面白いことを探り合うような関係で成立してるあたりが楽だったりする。機会があればやる、みたいな緩いスタンスで関わり続けてきたけど、もともとバンドとして活動する以上にそれぞれが個人で成長しながら理解を深めていくような部分が大きいので、興味が徐々にクリアになっていく実感はあったし、ここにきてやっと、それぞれが個人でやっていること、やりたいこととの距離が縮まって来てるのを感じていたりもする
投稿者 umedatetsuya : 00:00
2004年09月16日
風倒木地
>>9/11.12 のこと
1人でのパフォーマンスは「そのときその場所でしか出来ないこと」をまず考えたうえで自分なりの作品をやるので、映画館でやるという企画は格好の素材を手に入れた感覚だったし、それだけで充分刺激的だと思った
2日目の上演が終わって片づけを終え、家に帰って友人と話をして、じっと座って夜が明けるまで頭の中が整理されないままだった。充実なのか不安なのか何なのかよくわからない、嬉しいようで、切ないような感覚
先のこと、以前のこと、いろいろ考え悩むけど、結局はそのときどき自分がどうあるかということだけが重要であって、それは自分に対してどれだけ正直でいることが出来るか、ということだったりして。今回感じたのは、参加した皆がとても正直に作品と向き合っている姿勢であって、それを目の当たりにした僕は嬉しくなって、切なくもあって、色んな感情がまぜこぜになってわけがわからなかったのだろう
人前に出るごとクリアになっていく自分の興味に驚くことがあるけど、自分のことで1つはっきりしたのは僕はやっぱり映画館という場所が大好きだということで、改めてこれを自覚出来たことは、音を出すことを通じてあらゆる場所の持つ特徴、魅力をキャッチすることへの自信につながったと思う
もともと素材として使用する映像は最小限しか準備していなかったけど、映像らしい映像を全く使用しないということを決めたのは前日の晩のことだ。完成度とは別の意味で、その判断は良い方向に転んだとのではないかと思う。数々のトラブルをその場の思いつきで乗り切った2日目が映画的でドラマチックなものになった(僕にしては)ことも、決して偶然ではないと思った
投稿者 umedatetsuya : 00:00
2004年08月19日
不移動バカンス
次から次に訪れる時間を放っとくと勝手にどんどん進んでわけがわからなくなるようなので、積極的に放っといてますますわけがわからなくなっていこうと思ってるうちに夏も終盤に差し掛かり
あー、パイナップルもいで食いたい
注)パイナップルもいで、食いたい 「もいで」食いたい つまりはレゲエ
つまりはレゲエであるから、移動しないバカンスのシーズン
外界との接点を持つ意識には空気を抜いて入れ替える時間が必要であって、僕にとって今がちょうどその時期であるから、今の僕には世間一般では常識とされる時事的な情報がやや欠落気味
注)中島らもの訃報は身近なとこから。ぶっちぎり仲良くなりたい(勝手に)大人だったのに
一日中ただもくもくと接着剤を混ぜて、夜中ふらっとアイスを買いに行って、ついでに遠くのレンタルまで出向いてビデオを借りて帰った。部屋がだいぶ散らかってネジとかパーツが足に刺さりかけたんで、再び外に出てカメラで遊ぶ
注)翌日、普通にバイト。入ってきてしまう情報は普通に取り入れてしまえばよいし、決まっている予定は淡々とこなしていく。全うすることではなく楽しむからこそ、バカンス
8/7 名古屋>>
僕のやってきたことが、ひとつのあり方として結実してきているのを強く感じるような、そんな実感。雷と大雨で変に緊張感があり、全員が自分自身に喧嘩を売ってるかのようなヒリヒリした殺気を帯びていた
これは名古屋のライブ直後に手帳に書いておいた一口メモの写し
久々にソロでないライブもやってみましたが
8/14 小雪渓>>
これまで試行錯誤してきた作風を僕も含め皆が捕らえ始めているような感覚もあるけれど
ここへきてやっと糸口が見えた、と言うべきか
8/16 UNKE>>
こちらはまだまだ未熟、まだまだこれから
でもやりたいことは見えた。来月14日にまたやるし近々告知します
最近Googleのロゴが変だと思ってたらそうか、オリンピックだ。今回まだ何も見てない、というか何の前触れもなく地味に始まった気がしてしまうあたり、やっぱ時事アンテナスッカスカ
今日は本を一冊読みました
そろそろ仕事シーズン
投稿者 umedatetsuya : 00:00
2004年08月01日
縁日
住吉大社の周りに、家族連れや浴衣を着た女の子が列をつくっていた。出店がずらっと並んでいて、通過するとき、いくつもの甘い匂いがした。随分長いこと縁日に行ってない僕にとっては懐かしい匂いであり、懐かしい雰囲気だった
小学校に入るか入らないかくらいの頃、僕は海と山に囲まれた島の先っぽに住んでいたことがある。絵に描いたようなど田舎で、そこにも夏の縁日があった。毎年その時期になると地域中がそわそわと浮き足だって、話題が縁日一色に染まってくる。もちろん僕も例外ではなくて、縁日の間は兄と2人百円玉を握りしめて毎日出店に向かった。僕はすぐお金をなくす理由で百円以上は持たせてもらえなかったので、何かを食べたいときは兄に相談して、2人のお金を合わせて半分ずつ食べるのがルール。僕らの最大の楽しみは一回百円のくじ引きで、毎回真っ先にそこへ行きしばらく人が引くのを見届けて、ここぞというところでなけなしの金をはたいて引くのだけど、当たったためしがなかった。貴重なお金があっという間に長いビニール詰めのラムネに取って代わるのに、懲りずに毎年連日やってしまうあれはいったい何だったのか。話し上手なおじさんの「きんたまひやりんこ」を聞くために行ってたような気がしなくもない。そういえば一回だけ、おない歳の光くんが小さなパチンコゲームを当てたことがあった。あの時は沸いた。おじさんが鐘を鳴らし、場がどよめいて、光くんは一瞬時の人となった。でも、幼稚園と小学校が一緒になった小さな学校で、光くん以外くじを引き当てた人は知らない。粒の銀玉を弾くだけのせこいパチンコが、まるでパジェロでも当ててしまったかのような騒ぎだったけど。
ある年それとは別の夏祭りが、観光地として人気の砂浜で催された。くじ引きは無かったので、僕はアイスを食べることにした。兄を誘うと、1人で並べと列に置き去りにされた。立ちつくしていると、僕が注文する番になった。その頃の僕は知らない人とは全く(本当に全く)スキンシップがはかれないお子さんだったため、何も言葉にすることが出来ず、ただ突っ立ってるだけ。するとアイス売りのお兄さんが、ぽんぽんぽん、とアイスを三段重ねにして僕に渡し、僕の手から百円を抜き取ってくれたのだけど、僕はお兄さんの顔を見ることもなくその場を走り去って、そのまま砂浜に転けてアイスを台無しにしてしまった。お兄さんごめん。
なんか色々思い出したんで勢いに任せて書いていたら淡い思い出話みたいなことになってきたし、このくらいにしときます
泥の河(宮本輝)にも子供2人で縁日に行く話があったな
投稿者 umedatetsuya : 00:00
2004年06月19日
映画館
公開初日の映画を観に行った。何処へ行くも混みそうな状況は極力避けるので、初日に映画館へ行くのは6年くらい前に次いで人生で2回目。映画館へ行くこと自体あまりにも久々だったし、宣伝用のスチールが凄く綺麗だったので、綺麗なフィルムで見たかったというのがその理由。さいわい(?)大雨が降ったせいで人はあまり多くなくてゆっくり観ることが出来たし内容も楽しめたけど、東京から2月後というのは公開の時期に差がありすぎではないか?
少し前、とあるギャラリーで‘音楽はソフトにパッケージ出来るから良い’みたいな話になったので思わず否定したけど、音が時間と密接であることを抜きに、鳴らされる環境で捉えたとしても、パッケージなんてできっこないと思う。もちろんその努力はするし、絵や音楽と一口に言ってもいろんな類があってそれぞれが何を目的としてパッケージされるかにもよるのだけれど、仮に音がパッケージできるとするならば、それは絵も写真も全て同じことだろうし。映画もまた然り。映画館という場所で上映することを想定して作られている以上、やっぱ映画館で見るのと家でビデオやDVDを見るのとでは違うよね、てな当たり前のことを、今日はつくづく感じました
家でビデオを見るとき音声をオーディオのアンプにつなぎ直して電気を消して見るようにすると、これはこれで普通に見るのとは気分の盛り上がり方が全然違う。こないだ映画を観てたら、ラスト近くで大家さんが
‘今日釣りに行ったらぼうずでよー’
とか言いながら部屋に入ってきて魚の話を始めたので文句を言うと、
‘俺もビデオ見るとき真っ暗にすんねん。誰にも邪魔されたくないやん’
ってあんたわかってんじゃねーかよ
投稿者 umedatetsuya : 00:00
2004年05月26日
カフェブリッヂ
6/9カフェブリッヂ始まります。面白いこともちょこちょこやってくつもりなんで遊びに来てね。あとCD出ます。これは僕がやってるライブインスタレーションを切り取って音を記録したようなもんで、音源としては初めての作品であり、個人的にはちょっとした挑戦でもあります。発売は多分来月です
CDに関しては発売のときまた書くとして、とりあえずカフェのこと。
そもそも発端は、ブリッジが立ち上がった頃。その頃は週末のカフェ営業というのが存在していて、僕もちらほら顔を出したりしていた。とはいっても、アーツパーク自体がわりかしいそいそと立ち上がったこともあって見切り発車な部分は否めず、構造や目的もかなり不安定な状態だったように思う。それでも、スペースや立地など魅力的な要素は満載で、可能性として皆に何かを期待させるものだった。ちょうどその頃は、空間を遮断するごとく唐突に/物質的に作品を存在させるやり方に加え、受け手側に時間の選択支をゆだねることにも僕の興味が移り始めた頃で、ライブに展示の要素を+αしたいと考えはじめていた頃でもあった。他のスタッフもカフェで展示などの企画を行うことに興味を持っていたし、音楽とは違った手法を媒体にした人もちらほら顔を出していたように思う。
でも、見切り発車したカフェの変容は周囲の人たちの意識からどんどん遅れをとり、営業は好転せず、カフェは半年程度で構造を変えてしまう。その後も半年間営業は続いたけど、カフェにおける企画や展示を考えるような空気はすっかり無くなってしまい、ついに営業は終了。BRIDGEは基本的に音楽イベントのときだけ空いているスペースになった
その後、新たなシステムの導入と半年の充電期間を経て、BRIDGE全体のバランスもより安定し、少しずつやれることの幅を広げる余白もつくられてきた。そこに乗じて今度は僕がカフェブリッヂを再開します。とは言っても、僕がやるのは週末ではなく平日、週に1日。いまのところ、実はまだシステムは未完成。またかい!ってな感じだけど、見切り発車というわけではなくて、とりあえず出来ることからやっていこう、ということ。カフェのスペースは皆で協力して作ったものなので、きっと他でもカフェでの企画は増えてくると思う(たぶん)。僕自身は作品を展示したりイベントに出演したりということはテンパルんで考えてないけれど、他の面でおもしろそうだな、と思うことは、無理せず出来る範囲でやっていくつもり。とりあえずいつまで続けるかとかもまだ全然決めてないけど、やっぱり、ただそこに「場」として存在していることって重要でしょ?
次第に頻度を増していったセッションやライブハウスへの出演で音楽への興味、いろんな音楽からの影響を受けつつも、じっくりと作品を見せ(聴かせ)てみたいと考えていた僕には、自分が関わる以上、BRIDGEが常に音楽の溢れるハコというだけでなく純粋な「場」として存在していて欲しかったんだと思う。そしてそんな人はきっと僕以外にもいると思うから。
投稿者 umedatetsuya : 00:00
2004年05月21日
妄想
最近困った夢を見ることが多くて、眠るよりもビデオを見るようになった。僕は映画が好きでよく話をするけど、そんなに頻繁に見る人じゃない。特にここ数年はあまり見なくなって、見るとしても以前見た好きな映画を見直すことが多い。それでも、いい映画は何度見ても面白い発見があって飽きない。昨日もまた、大好きな映画にこころの裏側をひっぱられてしまった。ひっぱりこまれて置き去り、なかなか返してくれない。毎回泣きそうになるのに決して泣くことがないのはなんでやろね。つれない映画が好きなんです。決して親切じゃない。純粋で暖かくて残酷。おばかなんもいいなあ
夜中に出張映画館ってのがあって、うちまで来てくれるわけだから当然館内は自分ひとりで真っ暗で、ついでに大浴場もついてて、その真ん中に浮いて天井に移されたフィルムを眺めれたらいいなー。音がんがんに風呂エコーかかってたりして。白黒の古い映画なんでそれはそれで味があっていい。そのままぶくぶく沈んで考え事をしていたら何かを発明しそうになって、あわてて浮かぶともう忘れてて、そのまま思い出すまで朝は来ない。映画も終わらない
とかー。
寝よ。
投稿者 umedatetsuya : 00:00
2004年05月13日
profile
ある人に書かれたwebやDM用のプロフィールにたびたび突っ込みを入れていたら、ややこしい奴だと言われれてしまった。まあややこしいだろうけど、それは自分のやってることに責任を持つため必要なことというか・・変に持ち上げられたり思ってもないことを書かれて意見するのは当然だと思うけどなー。知らないとこで何をどう書かれようが知ったこっちゃないけど
僕は自分で自分に対して意味ありげなこと言ったり、何があーだとかあーしてこーなってこーだとか形式や枠にはめるような言い方、説明的な言い回しをすることはなるべく避ける。何よりもストリート(現場)で産まれるものを信用しているし、そこでは面白いことが重要であって、ジャンルも肩書きも不要だと思うから。観念やコンセプトをガイドに作品をつくったりもする(というかその方が多い)けど、僕の場合、わざわざ説明する必要もない気がする。だって、頭でっかちで説明的な作品ってつまんなくなりがちで、それだけで損してる気するし
というか自分でも意味不明で答えられないこと多いけど
でもやっぱり誤解は避けたいということで、も少し自分のやってることを明確に示してみようとも思っていて、でもなかなかそれはそれで難しいしなんとなく後回しにしてまあいいやとか思ってへっへーっと。好きにしよ
軽いのが一番楽だー
投稿者 umedatetsuya : 00:00
2004年03月08日
年度末
先月末、結婚式があって久々に里帰りをした。僕は○○式や正月のような家族や親戚が一同に会す催しが小さい頃から大変苦手で、学校でのイベントもろもろと併せて本当に大嫌いだった。それで人が集まる時期は里帰りを避けていたため、親戚に会うのは本当に久しぶりだったのだけど、以外に状況を楽しめてる自分に気づいたりした。どうやら少しは大人になったのかな。でも、過去の話題で盛り上がったりするのはどうも駄目で、そこだけは巧く避けようと話題をひっくり返しつつ。だいたい経験の記憶というのは自分に都合のいいように塗り替えられていることが多くて、思い返してみると、どんな嘘や情けないことも、いい思い出として丁寧に折り畳んであったりするものだ。単純に場を取り繕った会話が嫌なだけかも知れないけど。そういえば、親戚や母親と年金を払うの払わんのという話になったりもしたのだけれど、これってどうなんだろう。僕みたいにいい加減な生活をしてる人で、毎月きっちり納めてます、みたいな人っているのかな。僕が年金を払わないのは制度や政府がどーこーいうのじゃなくて、仮に自分に老後が存在したとして、その頃はどこかへ旅立ってしまっている気がするからだと言ってみたけど本当はお金が無だけですごめんなさい
とまあそんなこんなで(どんなだ)楽しく式も終わり、こっちに帰って来てばたばたといろいろあったのだけど、最近無性に意識がどこかよそへ向いている気がしてならない。地元に帰ったことがまるで何かの確認作業だったかのように、別の場所へ向かおうとする興味がどばーっと押し寄せて、一向に引いていく気配が無いのだ。場所とか言ってるけど、別にそれは土地という意味に限ったことではなく、たとえば意識や自分のやろうとしてることのツールとかいろいろ含めた広い意味であって。まあ言い方を変えればまた(×100)迷子になってしまったということで、これってよく考えたら僕の中では毎年この時期恒例のことじゃないか!と今書きながら気付いてしまった。そういえば冬の終わり、この季節に僕はそれまでの生活との別離を繰り返してきた。というか年度末ということを考えると、別にそれって自分に限ったことじゃなく皆そうやんけ、とも思うのだけど
ちょっと踏みとどまって、溜めるだけ溜めてきた興味をアイデアとして整理してみようと思う。それと併せて、過去の作品をきちんと消化していこう。最近、委託を始めるにあたって大雪渓のCDを聞いてみたのだけど、焦点の絞れてなさと、技量の未熟さにやや凹んでしまった。やっぱ○○○○○が足りないな。こんどのライブではそこを意識してみようと思う
投稿者 umedatetsuya : 00:00
2004年02月24日
ヒッチハイク
最近ヒッチハイクをしても車がつかまりにくいそうだ。というのは去年の夏に長野で知り合ったハイカーが言ってたことなのだけど、僕も実際やってみてそう思う。僕がヒッチを始めた頃は、といってもまだ3年くらいしか経ってないと思うのだけど、行き先を書いた紙を持って立っていれば10分や20分そこらで車が停まって乗せてくれたものだ。ヒッチで東京までライブや展覧会を見に行って、またヒッチで帰ってくる。危険じゃないかとよく聞かれたが、その度に僕は、危険だと思ってる人は初めからヒッチをしないし乗せてもくれないよ、と答えた。僕はこれまた旅先で知り合った友人の影響でヒッチを始めたのだけど、彼は本当にプロフェッショナルなハイカーで、住所さえわかっていれば全国どこでもヒッチだけで、しかもときにはどんな交通機関よりも早く目的地に到着する。彼にはキャリア技術共にとうてい及ばないけれど、僕もこれまでにいろんな面白い体験をした。
僕を乗せてくれるドライバーには、兄系の人が多かった。兄系と言ってもアンチヘテロな人ではなく、矢沢永吉や長渕剛とかを聞いてる意気のいい人のことだ。その車は改造車だったり左ハンドルだったり。普通に生活していてもなかなか接点がないような者同士でしかも興味を持って乗せてくれる人であるから、いろいろ熱心に質問して嬉しそうに自分の話をする。互いの話に互いが驚き、へえ、と頷く。他にも、自分の親くらいの夫婦や若いカップル、大学生の青年やらいろんな人と沢山の、その場限りの話をした。真冬の北海道で僕を拾ってくれたのは沖縄なまりの毛深い青年で、こんなところでヒッチハイクは自殺行為さねーと言っていた。彼は雪が見たい一心で親の反対を押し切り北海道の大学へ来て、一週間で飽きたのだそうだ。雪も寒さもうんざりで、今は太陽と海が恋しいと言っていた。宅急便のトラックに乗せてもらったときは中継所で別のドライバーを紹介され、あっという間に目的地に着いてしまった。最後に積荷の箱を開け、土産だ。ばれなきゃいいんだよ、と僕に渡してくれた。母親くらいの歳の人のときは僕が芸大(当時)だと聞いていろいろと画家や彫刻家の話をはじめ、話についていけない僕に、本当に芸大生か、みたいなことを聞いたので、別に芸術を学びに行ってるわけではありません、と答えた。
いろんなことがあったけど、ついこの間新幹線で九州へ向かいながら、自分のヒッチハイクへの熱が冷めつつあることに気がついた。そこに何かのハプニングや刺激を求めることよりも、値下げされて低賃金となった交通機関で手っ取り早く目的地に着くことの方が重要になってしまったようだ。ヒッチに関しては、ハプニングも刺激も一通り体験し尽くしたと感じているのかもしれない。
大学のとき非常勤で教えていた講師の人と、ある時東京で再会して一緒にご飯を食べた。ヒッチハイクで来ましたという僕に、彼は若い頃の自分の体験談を聞かせてくれた。歌手を目指す友人とヒッチをしておじさんに乗せてもらったのだけど、歌手を目指してますと話すと、おお、じゃあ兄ちゃん一曲うたえや、というはこびに。友人は得意気に当時流行っていたビートルズのgirlを熱唱したところ、兄ちゃん、兄ちゃんの歌には節がねえよ節が、と駄目出しを喰らって説教されたのだそうな。なんとも力の抜けたいい話ではないか
投稿者 umedatetsuya : 00:00
2004年02月01日
脱サーファー
扇風機〜のときに書いた自転車のその後
先月あたまの話。保管所まで取りに行って復活かと思った矢先、今度はとうとう盗まれてしまった。何日か近所を探し回ったけど見つからないので、家で防犯登録書を探したけど、それも行方不明。登録ナンバーわからな出てこんよ、と言われつつ警察に盗難届を出し、ひと月あまり電車と徒歩で生活しておりました。駅やどっかの駐輪場などを通過するたび立ち止まって目を光らせてるんだけど、まあ、見つからない。てなわけで見切りをつけて、ついに中古自転車を買いました。5000円だったけど、買うとき店の前で随分考え込んでしまった。単純にお金がないせいでもあるけど、それ以上に、どこへ行ったか知れぬ愛車が懐かしいようなうしろめたいような、妙な気分になってしまって
やっぱり生活のなかで頻繁に使うモノには、お気に入りを通り越して過剰な思い入れや信頼を寄せていたりする。8ミリやビデオのカメラ、初めて買ったギター、工具類などなどいろいろあるんだけど、中でも3年半乗り続けた愛車には思い入れが多く詰まっていて、盗まれてハイ次、といったあっさりした気分にはなれない。なんやかんやと厄介な代物で、数ヶ月に一度はメンテナンスして車体とタイヤのバランスを調整してやらないといけないし、ペダルを逆回転するとブレーキが斯かる作りでチェーンは外れ易いもんだから、スタート時の力加減が異常に難しかった。それでも何故か変に愛着があって、バイトは毎回片道1時間の距離を漕いで行ったし、車に積んでいろんなところを放浪したこともある。河原の土手や歩道橋の階段を急降下して楽しんだり、ビーチクルーザーならサーファーだよな、とか思ってわざわざ湘南で車を停めて海岸を走ったりもしたなあ。僕の場合、丘までも到達できない部屋サーファーという感じだけど
とかなんとか一通り思いを巡らせて供養を終えた気分になり、新車(中古)をさあ!と思って漕いでると、信号や交差点の度にペダルを逆回転させてしまう自分が妙にせつなかったりするのです
投稿者 umedatetsuya : 00:00
2004年01月21日
厄年
ぬるい生活をおくり過ぎてる気がする。日々の注意力が欠落していて、メリとかハリがなくなってきている。僕はもともと歯磨きが苦手なんだけど、最近は目にあまるものがあるのだ。苦手と言っても別に歯茎から出血するわけではなく、磨くのが面倒というだけの話。でも面倒というだけで睡魔と戦いながら延々眠らずに次の日が来てしまったりするし、同じように風呂、着替え、ガスの元栓締めや電気を消すこと、ベッドまで行き着くことさえも面倒で、次の日が来てしまう。たかだか6畳くらいの部屋でベッドまで行き着くのが面倒だから寝ない、なんてことが茶飯事なんだから、ひどい話だ。終いには寝ることすら面倒になってきたりして
弛んでますな。
携帯の金は振り込みが面倒で止められたあとしぶしぶ払いに行くし、履歴書上は特技なはずの料理も、それ以上に後片付けが面倒だからやらなかったり。拾ったがらくたの整理は後回しでビデオを見るし、日記みたいな感じで、と始めた筈のbbsに日記を書いたことがあっただろうか。例をあげだすときりがないので、ここはひとつ、今年はこの手の怠慢を辞めることに努めるとしよう。なんたって厄年!このままだと歯茎から出血しても風邪をひいてもぜんぶ厄年のせいにしてしまいそうだし
仕事なんてのはね、段取りひとつで大きく変わっちゃうんだよ
と、これは山の主からいただいた当たり前でいて忘れがちな、核心をついた言葉であります。日々の雑務は生活の段取りだよね!
とかいいながら今日も朝が来てしまった
朝が来てしまったと言えば、明日は○○だからはやく寝なきゃ!ってことが最近とんと無くなった。不摂生なんであまり早い時間には予定を入れないようにもしてるんだけど、それにしてもなんて緩い生活してんだ..
投稿者 umedatetsuya : 00:00
2004年01月17日
あとあじ
成人式が荒れてるらしい。わーわー騒いで式にならない様子をテレビでやってた。各地の成人式には未だにゴッド・スピード・ユー!な風貌の人たちがいっぱいいて、なんじゃこりゃあと、ちょっとわくわくした。初日の出暴走とかも最近ニュースでやってたりしたけど、そういえば去年の阪神優勝のニュースを見たときに、似たような感覚のもっと強烈なやつを味わったことを思い出した。たまたま友人の家を尋ねたら優勝後のビールかけを中継でやってて、それはもう何がなんだか訳がわからない滅茶苦茶な状態だった。互いの顔面に思いっきり白い泡を吹き付けあって、一斉にバラバラに叫びあって、レポーターの人はもみくちゃにされながら、こねくりまわされて、しばかれどつかれ蹴飛ばされながら、笑顔だった。そしてそれがスタジオの画に切り替わった瞬間の静寂・・・一瞬自分がそこから消えてしまいそうになるほどサイケデリックだった
暴走族と優勝のビールかけは全く異質のものだと思うけど、異常な(通常でない)風景が、文化として普通にお茶の間に垂れ流されているところが共通してる。文化かどうかは置いといても、良いか悪いかは別に、一般的に知られたナラワシ(?)ではあると思う。そういえば北朝鮮の国営放送がよくニュースなんかで流れるけど、あれを見たときも僕は似た感覚を味わう。あの話し方やマスゲームが異様に見えるのも日頃見慣れてなかったというだけであって、欧米人からすると日本人は物事をハッキリ言わないとか、無表情だとか言ってるのと同じようなことだろうし、そう考えると、似たような類いと言えなくはない
と思ったけどやっぱ無理があるかな
要は単純にそういう文化が日常に垣間見えた瞬間は強力だし面白い、という話。でも、これってきっと意図せずに産まれた効果だからこそのものかも知れず、意図してこういう要素を作品やステージに取り込んでやるのは効果的な反面むずかしく、安易にやってしまうのは危険だと思う。単なる悪趣味になりがちだし
で、僕はたった今その類の悪趣味と思われる映画を見てしまい、とても不愉快でこの文章を書きはじめたのでした
わー、前置き長すぎー
テレビも映画もその他にもいろいろ、刺激的という意味をはき違えて直接的に捉えたモノが多すぎじゃあなかろうか。まあ見なきゃいいんだけど
ジャンルとかの話じゃないよ。残酷なコメディ好きだし
投稿者 umedatetsuya : 00:00
2003年12月12日
扇風機誇大妄想
自転車が撤去されていた。駅前の駐輪場に停めていたにもかかわらず。管理のおっさんが言うには、客が自分の自転車を出すため邪魔な自転車を勝手に移動させることがある、だそうな
なんじゃそら。
おっさんの監視中にそんなことした人はいなかったらしく、まあそれはそうだろうってことで、僕はこのことをどこに話せばいいのですか?と尋ねると、保管所の電話番号を教えてくれた。たぶん無駄だろうな、と思いながら電話してみたところ、やはりどうにも話が進まず、管理局に電話するように言われ、そこから市役所窓口、なんとか技術協会、建設局と電話をたらい回しにされ、結局はどこも話を聞こうとはしなかった。予想はしていたけれど、なんとも不条理な話ではないか。もちろん皆が自分の仕事をきっちりこなした結果だということはわかってるし、そんな真偽の確かめようもない話に付き合ってられるほど暇じゃないのかもしれないけど、でもね。とくに対応のひどいおっさんになるとあからさまにこっちが嘘をついているかのような物言いで、さすがにこのときはもめ合いになって、なんだか自分がとてつもなく無意味なことをしているのではないかと空しい気持ちになってしまった
で、今は徒歩生活。でも自転車では素通りしていた八百屋に立ち寄ってバナナを買ったりしながら、なかなかいいものだな、なんて思ったりもする。今日も駅の帰りに捨ててある古い扇風機を見つけて、なんか作るのに使えそうなんで拾って帰ったり
楽しいだけでものを作ってると何かの局面でふと我にかえって、自分は一体なにをしとるんやろか、なんて思ったりすることがちょくちょくある。でも、世の中の動向と全く関係ないことを目一杯やるってことは、行為自体がもしかすると世の中の流れ/価値基準や動向を歪めたり濁したりするちょっとしたノイズであるということかも知れず、もっと何か大きなものが動いてく中における一遍の可能性なのかもしれないな、なんて思ったりもする
って話でかくなりすぎー!!
でも少なくとも役所に電話するよりはそうかも知れないな。僕の場合は
投稿者 umedatetsuya : 00:00
2003年11月26日
キリンの話
何かをしなくては
という焦りはきっと誰にでもあるのだろう。何かが何なのかわからない。ただ漠然とそう思う気持ち。それも波があって、強く押し寄せるときはもうたまらない。意識が拡大してどんどん重たくなり、反対に自分がどんどん小さくなって押しつぶされそうになる。窒息しそうだからとりあえず何か食べて自分を満足させようとするが、食べ過ぎるとあたりまえに気分が悪くなる
うーん
難しいですな
昔読んだ雑誌のインタビューで、画家の合田佐和子さんが「美術とは、人はどういう方向へ行くか、をやってくこと」みたいなことを言ってて、すごく共感した憶えがある。やっぱり僕らはどこか欠落してる。何かが足りないし、それが無いとたまらないのだけど、その何かがわからない。考えてもわからないし、行動してもつかめない、でもじっとしてられないから探すしかない。探す、てのは少し大袈裟かな。探る、くらいでいいかも。でも自分を誤魔化さず探ることと正直に向き合うほどに、周りとの接点は薄れていって、挫折もつきまとう。だから過酷だし、常にそうしてるとさすがにしんどい。そんなときのため世界中にはいろんな娯楽や芸術があって、僕らがどういう方向へ行くかを示すヒントになってくれてるんだと思う。つうかまあ、わざわざ言わなくてもいいんだけど。でもありがとう、先人達。あなたたちの向上心や迷いが今の僕らとつながってます。ありがとう、ピテカントロプス。ありがとう、猿。バクテリア。バクテリア?
うーん
考えてみると、何かをおかしいとか居心地が悪いと思いつづけることは、それだけでも後世につながっていくことなんだろうな。だってキリンは葉っぱ食うために首が伸びたらしく。人の原点はバクテリアだったそうで
あーしんど。とりあえず洗濯しよ
フロイトって人は晩年の病のなかでモルヒネで痛みをやわらげようとする家族に「辛くても意識のなかで考える方がいい」と言ったそうな
投稿者 umedatetsuya : 00:00
2003年11月01日
はじがき
子供のころ、風邪をひくと幻覚をよく見た。寝ようとすると、閃光のようなものがまぶたをちらつき、寝れなくて目をあけると、決まって天井に襲われた。ぐんぐん迫ってくる天井は、同時にディレイと深いリバーブのかかった幻聴をもたらす。
<<<<<<<<ぐおんぐおんぐおんぐおんぐおん>>>>>>>>>
部屋の外で話す親のひそひそ声や、たまに聞こえてくる車の音もその深すぎるエフェクトに同調し、さらにフィードバックを起こしてどんどん膨張する。目と耳に飛び込んでくるものすべてが、パンクしそうな頭の中をぐるぐるぐるぐるまわって、それはなんだか自分が自分のからだに置いてけぼりをくったかのような不思議な感覚だった。思い出すと、なぜか妙にせつなくて、でも少しだけほっこりする。普段は見えてなかったものが見えて、聞こえてなかった音が聞こえて、でもその瞬間への自覚は全く無い状態。なにがなんだか意味不明でわけが分からない状態。今はもういろんなものに慣れてしまっていて、何かに衝撃を受けたり感動したりするときにも、ある程度ああだこうだ、といった具体的な印象を持つようになってしまった。瞬間、脳みそがフリーズしてトラウマを抱えるくらいに衝撃的だったことも、今で考えるとなんてことなかったりする
慣れは残酷
純粋さはあるていど意識の上で保てても、無垢とか無知ってのはなかなかそうはいかないもんだ。それでもたまに、大人でも、この人は全くもって赤ん坊のようなこころの持ち主なんではなかろうか、と思うような人、またはその作品に出くわすことがある。身動きがとれなくなるほど○※▼で、涙が出そうになるほどせつない。その人、あるいはその作品が本当に無垢で無知なものだったかなんて解らないし、まあたぶんそうではなかったかもだし、僕がそう感じただけで、そもそも本当に、て何が本当になんだ?今何の話してたっけ、と要するに何も分かってないわけで。でも、確かにその瞬間、てのは存在していたんだろう。多分。結局は多分。多分の中にある曖昧なよくわからない何か。そのぐらい○※▼でφ×@*$$$$○▲;+▽ということは、結局▽※※◎』〜×○※※●×○○$$▽#””!!!!!!!!!!!だから、やっぱり最高に興味をひかれて止まないのだ
大自然、万歳!
投稿者 umedatetsuya : 00:00