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2006年02月28日

ねこおどり

最近とあるきっかけで"花代&環八にゃあにゃあず"の"ねこおどり"という曲を思い出したらアタマから離れなくなって、部屋のCDを探してみたけれど見当たらない。どうやら無くしてしまったみたいなので新しいのを買おうと思ったら、廃盤らしくどこにも売ってない。きっとずいぶん前に誰かに貸したはずなんだけど、それは私だ!と心当たりのある方、連絡をいただけませんでしょうか

アーティスト名/曲名の細部が違ってそうだけど、だいたいこんな名前だったと思う。花代とはおそらく、かつてダイスという雑誌に連載をされていたドイツ在住の写真家の花代さんのことだと思って聴いていたのですが、もしかするとこれも勘違いの可能性あるな

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伽名泥庵に"あふ煙B"を見に行った。その人そのままの立ち振る舞い、声、踊りがキラキラしていて素晴らしい。昨年末FBIの後に「体を動かすのと音を出すのは同じ行為」と言っていたBUNさんは、アイホールで今やってるヨーコさんのワークショップにも本名で参加してるのだそうで、修了公演にも出演するとのこと

写真はお客で来ていた三宅くんから貰った4/1のイベントチラシ。絵柄とレイアウトはディスコビーンズで個展開催中の内田ユッキ

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こないだwonさんとこで二胡を初披露していた▲(おにぎり)やら水谷さんの新バンドやらいろいろで、僕も出ます

投稿者 umedatetsuya : 23:32 | コメント (0)

2006年02月20日

人は何をどう聴く

今週の木と金

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+宇都宮さんのコメント
今回のレクチャーは巨視的な意味でのスピーカー論で、音楽の中にスピーカーという道具を持ち込もうとする試みです。
そう 未だに音楽の一部としてスピーカーは語られないのです…
23日は今現在までのスピーカーと音楽の関係性と、通常語られることのない本質的問題のおさらいを解説。
24日は「宇都宮方式の波面制御システム」の基礎理論解説と実演を含め、音楽の未来を論じる予定。
24日のみ宇都宮が組織するロック弦楽アンサンブルの出演予定あり!!

2/25 , 追記

毎回レクチャーと名乗ってはいるが、それ以前に体験なのです。情報を持ち帰るより先に、耳や体、脳を解放することがまず先決と個人的には思ってます。たくさんのご来場とカンパありがとうございました。大量の機材搬入でちょっと心配してましたが、おかげさまでシリーズ続行できそうです。次回は4月7日、内容はちょっとテクニカルなことから離れて、映画音楽についての講義?ジブリも出る?らしいぞ

投稿者 umedatetsuya : 16:31 | コメント (0)

2006年02月11日

ミュンヘン

きのう"ミュンヘン"見た。スピルバーグはすごいなー。考えてみたら、個人的に小さな子供の頃から大好きで、未だに新作のたびに足を運んで何かすごいモノを見せてくれて、なんて人は他にいないような

いつも思うけどドリームワークスってすごい名前だ

投稿者 umedatetsuya : 23:44 | コメント (0)

2006年02月07日

真っ暗な映画館 -2

ライブに出かけて気に入った音楽と出会い、CDを買って帰って部屋で聴く楽しみ、もまた体験。昨年、ライブ会場で売られている限定CDRや誰かから聞いてくれと渡された自主音源など、CDRでしか存在しないものだけを残して、持っていた大量の音楽CDRを全て手放した。学生時代に金欠でCD売りに行く際、盤とジャケットをコピーして残したものがほとんどだが、CDRはメーカーや製品によって音質の差が激しく、音色にもばらつきがあって、CDに記録された音をそのままコピーするなんてことはできない。澤居さんの話だと、最近は良い製品もどんどん生産中止になり質が劣化する一方だそうで、品質や保存も信用ならない製品だらけだという

質の話は置いといたとしても、盤に描かれた模様や絵柄、タイトルなどが失われることもあって、コピーCDRの扱いはどんどんぞんざいになる。と、そこには音楽を聴くという目的だけが残り、CDをかける体験の価値は失われて行く。背表紙の並んだ棚から1枚を選び、パッケージを開いてプレイヤーにかける。という楽しみが無くなると、同時に音楽を聴くという「体験」の要素は薄れてしまい、利便性ばかりが追求された結果、パソコンのスピーカーで聴くことが手っ取り早い。だとか、イヤホンで再生することなどを前提に音づくりが成された音楽が蔓延して行くという悪循環に陥る

こないだ携帯電話のスピーカーで音楽を聴きながら気持ち良さそうにしてるカップルがいて、ここまで極端になるとこれはこれで既製の価値観をひっくり返すようなビッグバンが起こる予兆のような気も少し、したけれど_____


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ちょうどタイミングよく昨日、大城くんから去年の暮れの沖縄でのライブ録音がCDRで送られて来たので、パフォーマンスとレクチャー(?)2部構成の前半のパフォーマンス部分を、そのままのシャッフル比対応状態で公開します。ホームページのaboutのとこにMP3で。もともと録音状態が良いというわけでもないけど、盤で聞きたいという方は返信用封筒にCDRを入れて送っていただければ、2部のレクチャー込みでコピーして返送します。メールください。紙とペンを同封して下されば取り扱い説明書もつきます

※宇宙の音は別のパフォーマンスなんで、この日の音のことではありませんよ

つづく___

投稿者 umedatetsuya : 00:36 | コメント (2)

2006年02月05日

真っ暗な映画館

以前、僕の小さい頃の映画館は真っ暗だったと書いた。本当に真っ暗だったかどうかはわからないけど、少なくとも僕の記憶の中では真っ暗。真っ暗な中で見た霊幻道士はめちゃくちゃ怖くて、トイレに行きたくても立ち上がれなかった。映画が終わってエンドロールが流れる中で、いそいそと立ち上がって映画館を出て行く人の音や気配もまた、たまらなく怖かった

あれから20年ほど経って、映画そのものが本当にそれほど怖いものだったのかと考えると、実はそうでもなかったのかも、と思う。当時は天草列島の一番海の先に突き出したところに住んでいて、映画館に行くのに2時間ほど車で走らなければならなかった。2時間かけて映画館へ行き、チケットを買って入り、ブザーが鳴るまでパンフレットの写真を見ながら待つ。上映中トイレに行きたくなると困るので、飲み物は飲まない。緊張から、始まると身動きをとれない。終わってからも、灯りがつくまで立ってはいけない。映画を見るという行為以前に、踏まなければならないプロセスや制約がたくさんあったし、映画の内容よりも、映画を見るという行為そのものが体験として僕の中に刻み込まれていたような気がする

20年経った今は日本橋に住んでいるのだけど、うちの近所に100円や200円で大量のビデオソフトを売ってるお店があって、ここが出来て以来、日本橋のビデオ屋は一気にデフレ化してしまった。大通り沿いでは不法コピーのDVDが大量に売られ、公開中の映画がいとも簡単に手に入る。さらに昨日TSUTAYAに行ったら、DVDのデリバリーを始めるという広告の横でレンタル落ちのビデオが200円から300円で売られていて、同じ店にあって借りるより安いのかと驚いた。ソフトは所有すると場所を取るのでレンタルの方が面倒でなくて良いのだろう。webでの配信が主流になると、今度はレンタルにすら出向く必要がなくなる。オンデマンドだと、時間も気にしなくて良くなる。僕が小学生のときにはすでにレンタルビデオも存在したけど、かつては1本の映画を見るために、どの映画がいつどこで封切られるかを調べ、チケットを買って映画館へ出向いたことを思うと、映画を見るために必要だったプロセスがどんどん削ぎ落とされていくことと同時に、必然にも偶然にもそこに付随していた「体験」が失われて行くことに気づく

音楽はマーケットの歴史が長い分それがさらに進行していて、すでにもう音楽の聴取ではダウンロードが主流の1つになっている。(これを期に変化する音楽の捉え方、聞き方などに関する話はおそらくいろんなところで持ち上げられたり問題視されたりしていて、その一端にカフェで企画してる宇都宮さんのレクチャーなども存在するのだが、その辺の話はひとまず置いといて__)蓄音機からオーディオシステムが生まれ、テープ、レコード、CDの大量生産への流れ、ソフトそのものが必要なくなる流れと比例するように、音楽を聴くために必要だったプロセスはみるみる少なくなり、今では、必要とした人が必要なときに必要な音楽を必要なだけ聞くことが最小限の労力で可能になった。でも、さて。必要最小限の行為だけに集約されていくことは、計算式上では行為の純度を高めているはずなのに、得られる感動の純度は低くなっているという逆説が、そこにはきっと存在する。それはつまり苦行や困難を通過した快楽や達成感はひとしお、とかそんなことを言ってるのではなく、付随していたはずのプロセスひとつひとつが、目的とした行為への期待を煽りながら、純粋な楽しみとして独立してしまっている(いた)ということだ

盤をひっくり返すのもマップ片手にレコード屋を回るのも、フィルムチェンジもレンタルビデオ屋で長い時間を費やすのも、その時間を至福として大切にして来た人にとってはプロセス以前に重要な楽しみとして独立している。そもそも日本には型やプロセスを粋とする文化が根付いているし、茶や花、弓などの行程や過程を楽しみ「かた」として高め極めてきた先人たちにならって、映画や音楽に到達する以前のプロセスを楽しみ、制約を粋として保存するような動きが、、そのうち生まれるのかなー

なんて思ったりして。

投稿者 umedatetsuya : 23:25 | コメント (0)