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2004年09月26日

大雪渓

部屋の片づけをしてたらメモのような紙切れがどんどん出てくる。それは大半の落書きに混じって、風景のことば、日常の会話から拾った台詞や思いつきの文字列だったりあらゆる面にトッチラカッタ内容で、そのほとんどは書いたことを忘れてしまってる。うろ覚えながらも通過してきた時間に沿って並べ直してみると、自分の興味の移り変わりが見て取れる気分にもなる

そのとき最も興味があることはそのときのものでしかないし、タイミングを逃すと似たような瞬間でさえなかなか巡ってこなかったりするので、そういえばこの頃こんなこと考えてたな、とひとつひとつをあらためて新鮮に感じたりして。それでも、随分前にやっていた、やろうとしていたことが一周して明らかに別の角度から面白く感じることもあって、これはきっと切り取られた日常から何かをキャッチしながら、日々の興味が変化していくこととリンクしているんだと思う

作品はそういう意味でもやっぱり即時的なモノだと考えるし、個人の場合、時間をかけて作品を詰めるにもその都度の興味に忠実であれるあたりが楽だったりする。たとえば僕は節々に想像の入り込む隙間があるような風通しの良い作品が好きで、先々もっと不安定になりかねない危うさに満ちた状態に魅力を感じるのだけど、この辺のニュアンスは微妙で主観に拠る部分が多く、人に伝えるのは難しい。だから、ここ数年は人と作品を作り込む作業から離れつつあったし、やろうにも自信がなかった、というか今でもあるというわけじゃないけど・・・

集団で明確なビジョンを持って心血注いで完パケしてどうだー!みたいなことは答えが別のところに見えてしまって恐ろしいけど、大雪渓はそれぞれが個人として関わることを前提として、お互いが何となく面白いことを探り合うような関係で成立してるあたりが楽だったりする。機会があればやる、みたいな緩いスタンスで関わり続けてきたけど、もともとバンドとして活動する以上にそれぞれが個人で成長しながら理解を深めていくような部分が大きいので、興味が徐々にクリアになっていく実感はあったし、ここにきてやっと、それぞれが個人でやっていること、やりたいこととの距離が縮まって来てるのを感じていたりもする


投稿者 umedatetsuya : 00:00

2004年09月16日

風倒木地

>>9/11.12 のこと

1人でのパフォーマンスは「そのときその場所でしか出来ないこと」をまず考えたうえで自分なりの作品をやるので、映画館でやるという企画は格好の素材を手に入れた感覚だったし、それだけで充分刺激的だと思った

2日目の上演が終わって片づけを終え、家に帰って友人と話をして、じっと座って夜が明けるまで頭の中が整理されないままだった。充実なのか不安なのか何なのかよくわからない、嬉しいようで、切ないような感覚

先のこと、以前のこと、いろいろ考え悩むけど、結局はそのときどき自分がどうあるかということだけが重要であって、それは自分に対してどれだけ正直でいることが出来るか、ということだったりして。今回感じたのは、参加した皆がとても正直に作品と向き合っている姿勢であって、それを目の当たりにした僕は嬉しくなって、切なくもあって、色んな感情がまぜこぜになってわけがわからなかったのだろう

人前に出るごとクリアになっていく自分の興味に驚くことがあるけど、自分のことで1つはっきりしたのは僕はやっぱり映画館という場所が大好きだということで、改めてこれを自覚出来たことは、音を出すことを通じてあらゆる場所の持つ特徴、魅力をキャッチすることへの自信につながったと思う

もともと素材として使用する映像は最小限しか準備していなかったけど、映像らしい映像を全く使用しないということを決めたのは前日の晩のことだ。完成度とは別の意味で、その判断は良い方向に転んだとのではないかと思う。数々のトラブルをその場の思いつきで乗り切った2日目が映画的でドラマチックなものになった(僕にしては)ことも、決して偶然ではないと思った


投稿者 umedatetsuya : 00:00