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2003年11月26日

キリンの話

何かをしなくては

という焦りはきっと誰にでもあるのだろう。何かが何なのかわからない。ただ漠然とそう思う気持ち。それも波があって、強く押し寄せるときはもうたまらない。意識が拡大してどんどん重たくなり、反対に自分がどんどん小さくなって押しつぶされそうになる。窒息しそうだからとりあえず何か食べて自分を満足させようとするが、食べ過ぎるとあたりまえに気分が悪くなる

うーん

難しいですな

昔読んだ雑誌のインタビューで、画家の合田佐和子さんが「美術とは、人はどういう方向へ行くか、をやってくこと」みたいなことを言ってて、すごく共感した憶えがある。やっぱり僕らはどこか欠落してる。何かが足りないし、それが無いとたまらないのだけど、その何かがわからない。考えてもわからないし、行動してもつかめない、でもじっとしてられないから探すしかない。探す、てのは少し大袈裟かな。探る、くらいでいいかも。でも自分を誤魔化さず探ることと正直に向き合うほどに、周りとの接点は薄れていって、挫折もつきまとう。だから過酷だし、常にそうしてるとさすがにしんどい。そんなときのため世界中にはいろんな娯楽や芸術があって、僕らがどういう方向へ行くかを示すヒントになってくれてるんだと思う。つうかまあ、わざわざ言わなくてもいいんだけど。でもありがとう、先人達。あなたたちの向上心や迷いが今の僕らとつながってます。ありがとう、ピテカントロプス。ありがとう、猿。バクテリア。バクテリア?

うーん

考えてみると、何かをおかしいとか居心地が悪いと思いつづけることは、それだけでも後世につながっていくことなんだろうな。だってキリンは葉っぱ食うために首が伸びたらしく。人の原点はバクテリアだったそうで

あーしんど。とりあえず洗濯しよ

フロイトって人は晩年の病のなかでモルヒネで痛みをやわらげようとする家族に「辛くても意識のなかで考える方がいい」と言ったそうな

投稿者 umedatetsuya : 00:00

2003年11月01日

はじがき

子供のころ、風邪をひくと幻覚をよく見た。寝ようとすると、閃光のようなものがまぶたをちらつき、寝れなくて目をあけると、決まって天井に襲われた。ぐんぐん迫ってくる天井は、同時にディレイと深いリバーブのかかった幻聴をもたらす。
<<<<<<<<ぐおんぐおんぐおんぐおんぐおん>>>>>>>>>
部屋の外で話す親のひそひそ声や、たまに聞こえてくる車の音もその深すぎるエフェクトに同調し、さらにフィードバックを起こしてどんどん膨張する。目と耳に飛び込んでくるものすべてが、パンクしそうな頭の中をぐるぐるぐるぐるまわって、それはなんだか自分が自分のからだに置いてけぼりをくったかのような不思議な感覚だった。思い出すと、なぜか妙にせつなくて、でも少しだけほっこりする。普段は見えてなかったものが見えて、聞こえてなかった音が聞こえて、でもその瞬間への自覚は全く無い状態。なにがなんだか意味不明でわけが分からない状態。今はもういろんなものに慣れてしまっていて、何かに衝撃を受けたり感動したりするときにも、ある程度ああだこうだ、といった具体的な印象を持つようになってしまった。瞬間、脳みそがフリーズしてトラウマを抱えるくらいに衝撃的だったことも、今で考えるとなんてことなかったりする

慣れは残酷

純粋さはあるていど意識の上で保てても、無垢とか無知ってのはなかなかそうはいかないもんだ。それでもたまに、大人でも、この人は全くもって赤ん坊のようなこころの持ち主なんではなかろうか、と思うような人、またはその作品に出くわすことがある。身動きがとれなくなるほど○※▼で、涙が出そうになるほどせつない。その人、あるいはその作品が本当に無垢で無知なものだったかなんて解らないし、まあたぶんそうではなかったかもだし、僕がそう感じただけで、そもそも本当に、て何が本当になんだ?今何の話してたっけ、と要するに何も分かってないわけで。でも、確かにその瞬間、てのは存在していたんだろう。多分。結局は多分。多分の中にある曖昧なよくわからない何か。そのぐらい○※▼でφ×@*$$$$○▲;+▽ということは、結局▽※※◎』〜×○※※●×○○$$▽#””!!!!!!!!!!!だから、やっぱり最高に興味をひかれて止まないのだ

大自然、万歳!

投稿者 umedatetsuya : 00:00