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妄想の地平線 > 8月のおはなし 朝
8月のおはなし
朝
地中に暮らし始めてもう3年になる。私はこの生活が結構気に入っていた。話し相手はいないが、同時に争いもない。刺激はないが変化もない。そんな安らかな生活は永遠に続くものと考えていた。
しかしある日、平穏は破られた。あの声が聞こえたのだ。 「地上に出でよ」 誰かがいたわけではない。威圧感のあるその声は私の中から聞こえて来たのだ。私はおかしくなってしまったのだろうか。私には地上になど行く気など微塵もないのに。地上は醜く、怒りに満ちている。私は地上を忌み嫌っていたのだ。 しかし、やがて声は繰り返し聞こえるようになった。日増しにその回数は増え、声も大きくなっていく。とうとう寝ても覚めても、殆ど間断なく聞こえるようになった。その暴力的とも言える責め苦に私は憔悴しきってしまった。お前は誰な んだ、何故私を苦しめるんだ。 それとも声に従い、地上に行けば、聞こえなくなるのだろうか。私にはもはや抵抗する気力もなくなっていた。私は声から逃れたい一心で、朦朧としながら地上に出た。 地上は夜だった。 あの声は止み、私は安堵のあまり意識を失った。 どれくらい時間が流れたのだろう。意識がもどった私はまどろみながら空を見あげていた。漆黒の星空が徐々に群青色に変わっていく。夜明けが近いのだ。やがて東の山際がオレンジに焼け始め、東の空全体は白く淡く薄れていった。一方、 西の空はまだ夜の名残を残していて、全天は東から西へ美しいグラデーションを成した。私の父や母はこの景色を見たのだろうか。 しかしその景色は私を癒さず、むしろ私を圧倒し、打ちのめした。そして私は発狂しそうな程の恐怖に包まれた。朝日は私の眼を焼くかもしれない。風が私を弄ぶかもしれない。いかづちが私を打つかもしれない。ああ愛しき麗しき大地、私は何故そこから離れてしまったのだろう。 しかし私の体は意に反してぴくりとも動かなかった。 朝日が昇り始め、私の恐怖は頂点に達した。やがて一条の光が私を照らした。それは小さく固まった私の心に錐のように差し込み、私はまるで固い殻が破れるような痛みを感じた。 恐れ、驚き、喜び、怒り。色々な感情が一度に噴き出し、私を満たした。そんなものが自分の中にあることを、私は知らなかった。そして私は訳もなく理解した。そうだ。私はここで死ぬのだ。そして、生まれ変わる。 薄れ行く意識の中で、地中で暮らした3年間を思った。今はそれほど懐かしくは感じなかった。今はどこまでも飛んでいける気がした。 木陰から一匹の蝉が飛び立った。■
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