| 宗教と戦争 03/02: B.T |
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パレスチナ問題を考えるとき、宗教と戦争の問題を考えざるを得ません。「宗教があるから戦争が起こるのだ」と考える人もいます。私も、クリスチャンになる前はそのような意見を持っていた一人です。しかしキリスト教を通して、中東やヨーロッパの歴史に関心をもつようになって、その考えを変えました。 ヒットラーによるユダヤ人虐殺の歴史を知って、良心を痛めない人はいません。2000年あるいは2500年の間、放浪の民となっていたユダヤ民族の祖国建設の願い(シオニズム運動)は、第二次世界大戦の時代の国際世論に支持されました。ユダヤ民族の祖国建国の夢は、そこに住んでいたパレスチナ人を排除するという問題を始めから含んでいました。ヨーロッパの国々は、今日でも奴隷貿易の補償をアフリカの国々から要求されているというニュースを最近聞きました。互いに国境を接する中東やヨーロッパの国々は、その時々の都合で国境線が簡単に変わる歴史を繰り返してきたのです。 現在を生きる人々は、過去の負の遺産を背負いながら生きなければなりません。この負の遺産、人間の過去の罪を精算するためには、自分もその罪を犯すかもしれないとあわれみが必要なのです。 2000年前に、差別される側にいた者の側にいて、敵を愛せよ、赦せよと教えたイエス・キリストは、まさに、人間の罪を帳消しにする最も有効な考えを示したのです。自分のいのちをかけて、十字架につけた同胞のため、また処刑人であるローマの兵士のために、「彼らは何をしているかわからないのです」と神に祈った生き方こそ、最も本質的な愛を表すキリスト教の考え方です。 キリスト教に関心をもたなかった時の自分の考えは、自分はそんな聖人みたいな生き方はできないというものでした。しかし聖書は、あなたは祈りなさいと教えているのです、敵を裁くのは神の業だと言っています。 牧師のひとこと B.Tさんは、静岡県に家族を残しての単身赴任生活の中で、行田カベナント教会に通うようになり、キリストを救い主として信じました。国と国とが、また人と人とが問題を解決する手段として、力によって相手を屈服させてきたと歴史は教えます。人間は歴史から学ばなければならないのに、今なお、愚かさを繰り返そうとしています。イエスの教えと、生き方を改めて私たちが学ぶ必要があります。(矢吹 博) |
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