「試練」か「誘惑」か                                        00/10: 矢吹 博牧師

 シドニーオリンピックで金メダルをとった田村亮子さん。金メダルを胸にぶら下げて「初恋の人に巡りあえたような・・・」とうれしさを隠しきれない表情が印象的でした。しかし、栄冠に至までには大きな苦しみも通ったと報じられていました。

 前回のアトランタで金を逃し、抜けがらのようになっていた田村さんを、再び金をめざすために立ち上がらせたきっかけになったのは、持田典子コーチの手紙でした。「神さまは力のない者には重荷を与えません。力があるから試練を与えるのです。」

 失敗や挫折のない人生などありません。苦しみをまったく経験しない人がいたら、その人は幸せではないかも知れません。

 一つの出来事がその人をさらに成長させるのか、だめにしてしまうのかのカギは、その人が失敗や挫折の経験をどのように受け止めるかにあります。同じ経験することが「試練」とも「誘惑」ともなりえるのです。

 聖書のことばを思い出しました。

 「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」
新約聖書 コリント第1 10章13節

 天地を、そしてその中にあるすべてのものを創造された神さまは、私たちを愛しておられるので、耐えられない試練を与えることはなさらないのです。

 そして、耐えられない試練とともに脱出の道も備えているというのです。何と配慮に満ちた神さまでしょうか。

 「神を信じるのは弱い人のすること」と言う人もいます。いいえ、私たちすべてが弱いのです。だからこそ、私たちを造り愛しておられる神に信頼し続けているのです。その時、「弱いのに強くされ」ということがその人のうちに実現します。すばらしいですね。

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