『ブルーベア』を読み終えた。素敵な読了感だった。著者のリン・スクーラーはアラスカのジュノーでボート生活を送りながらガイドを続ける人で、星野さんとはガイドと写真家の関係以上の友情を育んできたことが、本の中で語られていた。星野さんの数多い文の中からは、彼の考えやものの見方を知ることは出来ても、彼が周囲の人々にどれくらい愛され、またどうして愛されてきたのかをすることはなかなか難しい。それをこの本が教えてくれていた。生まれ持った病気との闘いや恋人の不幸な死を経て人間嫌いになった著者は、屈託のない笑顔を振りまき、時にユーモアと飾らない人柄を交えて接してくる星野さんと旅に出掛けるうちに、もう一度人を信頼しようとする。その旅と友情の記録のキーワードになったのが、幻のクマ、ブルーベアとも呼ばれるグレイシャーベアの存在だった。著者と星野さんはいつの日か、一緒にブルーベアを見ようと約束して、アラスカのあちこちに出掛けていくのである。
・・・結局、星野さんはブルーベアに会うことはなかった。その約束を果たす前にロシアのカムチャツカで亡くなっているのである。星野さんの死に、必死で意味を見いだそうとする著者に、彼の友人でありまた星野さんとも友人だった女性が物語の最後に『ナヌークの贈りもの』という星野さんの本をプレゼントする。彼の死を『ブルーベア』という本の中で数万言費やして語ろうとしていた著者は、星野さんが子供のためにと作った本の29枚の写真と五百語余りの言葉で星野さん自身が全てを語っていたことに、意味と理解を見いだしたのではなかっただろか。
著者はその後、ブルーベアを見る。でもそこにいたのは星野さんではなく、心を通い合わせる見込みの全くない二人の人間だった。
こんなはずではなかった、と思った。そして肝心なときに遅刻し、大事なことを忘れてしまうミチオのどこか愛すべき習性に対して、奇妙な、愛情のこもった欲求不満とでも言うべき感情を抱いていたことを思い出して、わたしはあやうく声を出して笑いだすところだった。ミチオ、とうとうブルーベアを見つけたこの肝心なときに、きみはいったいどこにいるんだ?
著者が、ブルーベアを見た感動をどうにかして一緒にいた人間に伝えよう、喜びを共有しようとしたその姿勢、以前なら考えられなかった内面の変化が、この旅は結局二人にとって成功に終わったのだということを示しているのかも知れなかった。
この本が気になる方は、こちらをどうぞ。
>>「ブルーベア」