【白鴉さん】by Wagtail






『白鴉…さん?』

 カラスから男の姿に変わったその人影が立ち上がると、つぐみは思わずよろめき言葉を発していました。

『…そうだが?』

 街灯の微かな光が照らす闇の中、後ろ姿のまま慣れた様子で男は答えます。

 そしてゆっくりと、つぐみの方へ振り返るのです。

 一昔前の労働者のような、くたびれたコートに大きな帽子。 しかしその顔はまだ若く、少年のようにさえ見えました。

 もしかしたら、つぐみと同じ程度の年なのかも知れません。

『そう…なの?』

 自分の発言も、真夜中に出歩いている怪しさも、全てを受け入れて見せる少年に、つぐみも思わず自然体で答えてしまいます。

『こうやって自分から声をかけてくる奴も久しぶりだ…』

 青年はわざとらしくニヒルに笑ってみせます。

『ど、どれくらい久しぶり?』

 つぐみはまだ目の前で起こった事が信じられず、樹に隠れた妙な体勢のままながら、好奇心で聞いてみます。

『むぅ…そうだな、職務質問を除けば7、8年ぶりぐらいか?』

『ええっ…!?』

 この、見た目には18かそこそこの青年が言うのでつぐみは驚きます。

『あの、貴方は…おいくつなんですか?』

 お互いの立場がさっぱりわからないつぐみは、ぎこちなく相手の素性を尋ねようとしました。

『…信じる、信じないは手前の勝手だぞ?』

『は、はい』

『俺はな…18世紀の初頭、ドイツに生まれた』

『はい?』

『つまりだ、もう歳なんざ数えちゃいないが、強いて言うなら生まれておよそ200年は経つ訳か』

『………』



 現実にはとても信じられない事を、すんなりと言ってのける不思議な青年。

 非現実の世界を夢見ていたつぐみは、不審な人物は疑わなければいけないと自分に言い聞かせながらも、その人に惹き付けられるのでした。

 何か、自分の理想の生き方をしている人のように思えたのです。

『ここは静かな街だな』

 ぼーっとしていたつぐみに、青年が語りかけました。

『えっ、ええ…私も、そう思いますよ』

『昼も夜もだ。 昼は穏やかで、夜は誰もいなくて居心地がいい』

『そうですね、なんて言うか…落ち着いて、自分らしいままでいられる気がします』

 つぐみは自分が少し変わっている事も、その事から周囲から浮き、常に寂しさや疎外感を抱いている事も解っていました。

 引っ越してくる前の街の景色は、どこか暗くぼんやりとしていて、殆ど記憶にありません。



 両親の別離など、当時は良くない出来事が多かった事もあるのでしょう。

 彼女がその街で覚えたものは、ただただ冷たく虚しいものばかり。

 そして「この世界」で何かに捕われているような観念、それ故の逃避願望─空想癖についても、物心ついた頃から漠然と感じ続けていたのです。

 …はた目に見れば奇行のような事もしていました。 クラスメートから「ズレた」性質について攻撃されたり、嫌味も言われてきました。

 「ここは私のいるべき所じゃない」

 「私はここにいちゃいけない…もっと、もっと、自由な世界が欲しい。 羽ばたいていく鳥のように…」

 街外れの小さな森の中。 悲哀を帯びた少女の心の声が木霊して、木々がその気持ちを受け止めるようにざわめき、一筋の風が吹きました。

 つぐみ、8歳─。 この時の少女の深層には、自分の身体さえ大自然の中へ乱暴に放り出し、そのまま消えてしまえばいい…と言う決意すらありました。

 が、その時吹いた風からは、自分を取り囲む自然達が、行き場の無い切ない思いを受け止めてくれた気がして、驚き、喜んだのでした。

 草むらに寝そべって見た、その日の空をつぐみはよく覚えています。 どこまでも、どこまでも青く、うっすらと白い月が見えて─。

 その頼りない真昼の月が、自分の失意を吸い取ってくれたかのようでした。

 青く降り注ぐ空の光が一層清清しかった、あの日─。

『…どーした? なんか泣かすような事したか?』

『ええっ!? あ、はい、なんでもないです、すいませんっ』

 過去の街の情景の断片を思い出すと、不意につぐみの目は潤み始めていました。

『ここなら…私、なりたい自分になれる気がするんだ…』

 改めてつぐみが、現在いるこの街について語り出しました。

『へぇ…なりたい自分、か』

 青年はつぐみに共感するものがあったのか、ささやかに興味を込めて言いました。

『うん…私ね。 本当に自分は「この世界」…社会にいててもいいのかな…って』

『…そりゃあ、何だ、現世に退屈してるって事か』

『そんなに解りやすい事じゃないのっ』

 つぐみが顔を上げて、真摯な表情で青年を見据えましたが、それでも的確に言い表せないもどかしさにやきもきしていると…。

『…へっ』

 青年はしたり顔でフっと笑ってみせます。 彼もまた、つぐみ独特の疎外感や逸脱感を解っているからに他なりません。

『まず一言、言っとくぞ』

 青年はまた背を向けて、帽子とコートの襟に顔を埋めるようにして、神妙に自分話りを始める気でいました。

『…はい?』

 あの青年の放つ、ただならない雰囲気と、既に200年生きてきたが故の落ち着きに、つぐみは圧倒されてしまいます。



『俺の体には強い呪いがかかっている』

『…!』

 突然、お伽話のようなフレーズが飛び出して、つぐみはびっくりします。

 彼の目は真剣そのものでしたから、尚更です。

『俺は日の光を浴びると「白いカラス」の姿に一瞬で変化してしまう。

 それも、よりによってどこへ行っても一際目立っちまう白ガラスなんだぜ。

 で、こうしてすっかり陽も沈んで、そしてまた陽が昇るまでの間、俺は人の姿に戻る事ができるんだ』

『それ…って…』

 つぐみの頭の中で、たくさんの要素が混じり合います。

 目の前で淡々と語る、呪いを受けたという不老の青年。 自分の夢見た、存在する筈のない幻想世界に踏み込める予感。

 そして彼が、呪いによって昼間は白いカラスになっていると言う話………。

『なぁ、何か覚えねぇか? ピザまんよ』

『なっ…!!』

 思い出しかけた、恥ずかしい記憶を相手に掘り出されたつぐみは、頭に血が昇りました。

『ありゃ3日ぶりの食事だったぜぇ、そりゃたまらなく旨かったなぁ。 な、ピザまん?』

『ピ…私はピザまんじゃありませんっ! 深山つぐみと言う立派な名前があるんですよっ!!』

『…ツグミか。 渡り鳥だな』

『そうなの…?』

『お前、手前の名前の由来も知らんのか』

『あのね〜、200歳だか呪いだか何か知らないけど、嫌味言うの止めてくださいよ、もう!』

 不思議な青年「白鴉さん」はポーカーフェイスを保ちつつも、この食い付きの良い天真爛漫な、それでいて孤独な少女を気に入りました。

(機会があったら、また会ってもいいな)

 心の中で呟くのみです。



『きゃっ!?』

 静寂を破り、つぐみは思わず小さく悲鳴をあげてしまいました。

 二人の先には人間ほどの大きさの、得体の知れない不気味な黒いものが、悶えるように路上でうごめいていました。

『何…あれ…』

 見たことも無いおぞましさに、つぐみは悪寒を覚えました。

『…ああ。 こんな街にも出やがったか、ウジ虫野郎め』

『虫…!?』

『この俺が長年かけて見聞きした情報によれば「情魔(じょうま)」と言うらしい。

 もう慣れた、何の事は無いハエみたいなもんさ。 しつこく纏わりついてくるだけで、すぐ死ぬ』

 訳のわからない出来事や言葉で頭がパニックになるつぐみですが、そのただならぬおぞましさ、すぐに消して欲しいと願いました。

『消え失せろ、ウジ虫が!!』



 言うと同時に、白鴉さんが口に銜えていた釘のような物を鮮やかに、それでいて無駄の無い手付きで投げ付けます。

(あ、あれってやっぱり凶器なんだ)

 いつの間にか、ちゃっかり白鴉さんの影に隠れたつぐみは、妙に冷静に思いました。

 その釘のようなものは、燃える彗星のごとく白銀に輝きながら、地を這う異形のものを討ちました。

 その瞬間、それは呻き声を発しながら闇夜の中へ霧散してしていきます。

 あっと言う間の出来事でした。

『ね、ねえ…あれ、何なの? 教えて?』

 涙目で、白鴉さんのコートの裾を掴むつぐみ。

『…人間の諸々の報われない気持ち、やり場の無い気持ちは、目に見えないまま空気のように周りに充満していく』

『はい…?』

『普通の報われない気持ちや恨みつらみだったら本人の周りだけだが、強い無念はその口惜しさに比例して広範囲を包み込む。

 で、そこに魔力をはらんだ人間や、神父や悪魔払い、本物の霊能力者なんかが立ち入ると解るんだそうだ。

 実際、俺はそれを空気の澄み度合いみたいに肌で感じ取れるが、居心地の善し悪しで大して気にはしていない』

『は、はい』

 つぐみは普段聞き慣れない、観念的なお話に付いていくのが精一杯でした。

 「今の所もう一回!」などと言いたい気分でしたが、雰囲気が雰囲気だけに黙っています。

『…だが。

 俺は恐らく呪いの所為だろう。 この体になって以来、毎晩のように「情魔」が絡んできやがる。

 その度に、俺がわざわざ一つ一つ銀を加工して作ってやる特製の虫ピンで駆除してんのよ』

『銀の虫ピン…?』

『最初は逃げるしか無かったが、幸いヤツらも悪魔の類らしく銀に弱い事がわかってから、全部潰してる。

 銀はヤツらと一緒に消えちまうから、一番効果的で消費が少ない手段を考えて行き着いたんだ。

 昔は銀の弾丸なんて物もあったが、現世(いま)はデカイ悪魔なぞ滅多に出ないし、俺は貧乏人だから銃が使えん』

『はぁ…この国じゃ銃使えないですしね…』

『だな、使えたとしても昼間の隠し場所に困るぜ』

『なんかまだよくわからないけど、白鴉さんって凄い人なんですね』

『そうだぞ』

(…そういう時は否定するでしょ、普通)

 恐ろしい「情魔」も消え失せ、だんだんと平静を取り戻したつぐみは、何だかわくわくした気分になってきました。

 今自分の見た光景も白鴉さんと言う人も、明らかに現実に存在しています。 つまり、超自然的な出来事が起こっていたのです。

 更にはそこに自分がいる、と言う事が夢のようだと思ったのです。

 それはまさに常日頃、空想と割り切りながらも思い描いた、世界の裏側という表現がぴったりの非現実世界でした。

(いつも夜空を見てて、良かったぁ)

『さてと、お前そろそろ帰れ』

『えっ………』

 気分が盛り上がってきた所に、白鴉さんのドライな一言が突き刺さりました。

『お前学生だろ? それに一晩中俺に引っ付いてもやる事ねぇぞ』

『うう…』

 確かに、いくら何でも徹夜して学校へ行く訳にはいきません。

『ね、ねえ。 もっと情魔とか言うの来ない? 私を狙う情魔を貴方がカッコよくやっつけて…なーんて…』

 それでも名残惜しいつぐみは、もうちょっと冒険できないものかと必死になります。

『そんなに多かねえよ、ここは静かな街だと言っただろう。 新しい街だからまだ空気が澄んでるんだ。

 それにあのうざったい虫ケラどもが狙ってんのはお前なんかじゃなく俺なんだ、俺…』

 と言いかけて、白鴉さんの動きがしばし止まりました。

『何…?』

『さっき、お前が情魔を先に見つけたよな』

『うん』

『………ま、家系かなんかか。 御先祖様に魔術師か霊能力者でもいたんだろ』

『ええっ、そうなの!? そんなの初めて聞いたよっ!』

『うるせーな! 俺がテキトーに推測しただけだっつぅの!

 そんなに嬉しいなら昼間に俺以外の奴に言いふらして来い、危ない奴になれるぞ』

『う…。 そ、そっちこそうるさいわねっ。

 じゃあもういいわ、面白かったから帰る!』

 わざとらしくそっぽを向いて、自分の住む棟へ向けて歩き出すつぐみ。

『…おう、またな』

『え?』

 

 つぐみは思わず小さく振り返りました。

 しかし白鴉さんの姿は既に見えません。 そこには白い羽根が微かに舞い落ちていました。

 

 「またな」と言う言葉は、それからつぐみが眠りにつくまで、ずっとずっと心に焼き付いていました─。




(つづく)


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