【白鴉さん】by Wagtail





 ある年の冬の日の事でした。

 小さな街の、青鈍色(あおにびいろ)の空の下で一人の女子高生がぶらぶらと帰宅しています。



 深山つぐみ、16歳。 まだ転校してきたばかりで、親しい友人もいない少女でした。

 彼女は空の色や身近な野鳥を見て歩くのが好きで、その日もコンビニでぶらりと買い物をして、傍から見れば上の空と言った風に歩いていました。

 普段なかなか見られない鳥を見られた日は幸せな気分になるものです。

 ─が、その日は生涯のうちに目にできるかできないか、と言う程に珍しい野鳥を見つけたのです。



 白いカラス。

 全身に一点の曇りもない、気高さすら感じさせる純白の美しさ。

 つぐみは思わず心を奪われて、寒気の中に立ち尽くしていました。

 まるでそこだけ時が止まったかのように。 しかし、静寂は簡単に打ち破られました。

 その白いカラスは他所からやって来た2・3羽の普通の黒いカラス達につつかれ、呆気無く蹴落とされたのでした。

 つぐみは逃げられる事を承知しながら、同情と好奇心で白いカラスに歩み寄りました。

 「黒いカラスの群れの中に、白いカラスは馴染めない」

(小さい頃に絵本の寓話で見た通りだなあ…)

(それにしても酷い事をするな…)

 とめどなく考えながら、つぐみは落ちたカラスが無事かどうかを確認しました。

 白いカラスは平気な顔でその場に立っています。 そして、しゃがみ込んだつぐみの顔を見据えました。

『あは…っ』

 つぐみは、白いカラスが無事だった事と、駆け寄っても逃げない事に嬉しくなりました。

 自分の顔をじっと見つめる、不思議な不思議な白いカラス。

 元々動物好きなつぐみは、虐められたカラスへの慰めも込めて、自分の買い物を分けてあげる事にしました。

 

『ほら、さっき買ったピザまんの皮あげる。 まだ温かいし、ちょっとだけ味もしみ込んでるよ』

 驚かさないように、そっとカラスの足下に投げてみます。

 白いカラスはまだ湯気のたつようなピザまんの「皮」をじっと見ました。

 そして…。



『い゛っ、いやーっ!!!』

 カラスは威風堂々とつぐみに飛びかかり、手に持っていた元のピザまんにかぶりついて見せます。

『これは私のなのぉー! あっ、食べちゃダメ、こんなの鳥には毒だから…!』

 そんな忠告を鳥が聞くはずがありません。 服にカラスの爪が食いんで、肌がチクチクします。

 抵抗する手首をウロコで堅く覆われた鳥足でガッチリと押さえ付けられ、それはもう本人にとって恐怖でした。

『ああっ、やめて、それだけはっっ』

 パニックで泣き笑いの表情になりながら、喰い散らかされていくピザまんに執着するつぐみ。

 無惨なピザまんにはもはや守る価値もないと言うのに…。

 そしてカラスはきれいにつぐみの持っていた分を食べると、バカにしたように一声鳴いて飛び去って行きました。

『あぅぅぅぅ…』

 戦いの後には、乱れた制服でコンビニ側の歩道にへたり込んでいる、おかしな女子高生の姿だけが残されました。

 飛ぶ鳥跡を濁さずとはこの事か、当の白いカラスは純白の羽根を広げて優雅に舞っていきました。


『はぁ…』

 それからしばらくして、我に返ったつぐみはとぼとぼと家路を歩いていました。

(せっかく珍しい鳥と近付けたのに、カラスがあそこまでふてぶてしいとは思わなかったわ)

(つまはじきにされて、それがどこか昔の私みたいで感じ入るものがあったんだけど…)

(でもきっと、誰からも受け入れてもらえないから、あんな性格になったんだろうな)

(…だから、責めたらいけない)

 後は次々と、転入したばかりのクラスの人間関係だとか、成績が伸びないとか、将来の夢が白紙だとか、細々とした悩みが湧いてくるのみでした。

 つぐみはふいに立ち止まり、すっかり日の落ちた紺碧の空を見上げました。

 吸い込まれそうな程に美しい空の色を見る度につぐみの脳裏をよぎる思いがありました。

(「世界」は、本当にニュースや地図や教科書に書かれたものが全てなんだろうか)

(この世のどこかに、誰も知らない秘密や空間、もう一つの「世界」があったとしたら…)

 つぐみは空想好きな少女でした。

 現世の女の子達が夢中になるアイドルも、音楽も、グッズも、お洒落にも関心が持てません。

 女の子達を熱狂させる、それらの何処がいいのかがさっぱりわからないのです。

 つぐみは動物が好きでしたが、どちらかと言うとぬいぐるみやキャラクターやペットより、森羅万象全てをひっくるめた「自然」が好きでした。

 そんな、ちょっぴり風変わりな自我を持つ少女でしたから、大多数の女の子とはなかなか気が合わないのです。

 本人がそこまで考えているかどうかはわかりませんが、この世界は自分のいるべき所ではない、とさえ感じているかも知れません。

 つぐみは、自分が何をした訳でもなく、普通に何かをしているだけでもクラスメートに奇異の目で見られて来ました。

 大多数のクラスメート達とは「何か」が違うと言うか、ずれているのです。

 その「何か」とは雰囲気だとか、オーラとか言う曖昧なものでしょうが、子供達の方がそういったものには敏感なのです。

 子供はそこまで深く考えるはずもなく、ただあいつはヘンだとか、みんなと違うとか、極めて直感的な判断をそのまま態度で示すのでした。

 明るい彼女も、学校の中だけは牢獄のように感じていました。 強いて言うなら、捕えられた籠の野鳥。

 実を言えばそういったトラブルから転校を決め、彼女は片親である父と2人でこの街へとやってきたのです。

 今度の学校はできたばかりの私立女子高でした。 つぐみにとっては私立も女子校も初めてです。


『お友達、できるかしら』

 期待と不安の、学校生活の幕開け。 ほんの3日ほど前に転校したばかりの彼女は、新しい学校生活を思い起こしました。

 私立らしく自由な校風で、個性的な子がたくさんいたなぁ、と感じました。



 中でも一番驚いたのは、どこかの財閥のお嬢様だという美條 羽都子。

 彼女はお嬢様らしい清楚な物腰と端麗な容姿を兼ね備えているのですが、奢る所が無いどころか、むしろ地味な程の存在でした。

 つぐみは、どこか寂しげで儚い影のあるその子とは仲良くなれそうな、そんな予感を覚えました。

 きっと彼女には自分と同様に友達がいないはずだと、つぐみは思ったのです─。

 その子もまた生まれ育ちが良いからなのか、一部の生徒がトイレでお決まりの影口を叩いているのを見てしまったからです。

(今までつぐみが居た学校にくらべれば、遥かに品の良いやり口でしたが)

 何でも彼女の財閥は、あらゆる呪術を使って富を得たとか無数の屍の上に地位を築いたのだとか、根も葉も無い噂が昔から流れているそうなのです。

 それも3代ほど前、時流に乗れず傾きかけた家へ素性の知れぬ女性がやってきた途端、不自然なぐらい見事に復興したと言うのです。

 その女性は当時の若かった御曹子と結婚し晴れて妻となった訳ですが、当時から皮肉を込めて「あいつは魔女だ」と影で囁かれたそうです。

 つまり鳩子は、邪悪な魔女の末裔なのだと。


 陽もとっくに落ちて夜。



 入浴を終えネグリジェに着替えたつぐみは、季節の流れを紡いでゆく寒気を浴びながら、窓辺から頬杖をついています。

 つぐみが住んでいるのは、広大な面積を誇る公営団地でした。

 ほんの10年前に切り開かれた田畑は、初々しい住宅地に作り替えられました。

 正確には、もちろんつぐみとその父親も同じ団地の一室に住んでいる訳ですが…。

 今はその父もとうに寝静まり、ゆっくりとした時間の流れる「団地の街」はミステリアスな静寂の空間へ変わるのです。

 車の音さえ聞こえない、新興住宅地の夜。

 たよりなくも温かい窓の光、そして並ぶ街灯につぐみは思いを馳せます。

 自分がもし何かの目撃者になったら、自分だけに見えるものが現れたら、幻想の世界への扉が開かれたら。

 そんな空想が広がっていくのです。 もちろん、何も起こらない事はつぐみ自身よく知っています。

 しかしその日はいつもと違い、彼女の目の前で幻想的な出来事が起こりました。

 どこまでも透き通った青い闇の中を、翼を広げたまま風に乗って優々と突っ切っていく白い鳥を見たのです。


(あれは…白いカラス!)


 気付くや否や、つぐみは制服に着替え、外にでる準備をしていました。

 自分でも何故かわかりません。 ですが、きっと何かチャンスのようなものを直感したのです。

 父親に気付かれないようにドアをそっと閉め、できるだけ音をたてないようにコンクリートの階段を下って行くつぐみ。

 そして外に出ると、あのカラスが一直線に飛んで行った先を目指し、一目散に駆け出しました。

 自分の住む棟を抜け、敷地内の道路に出た所で彼女の足は止まりました。

 何故か思わず街路樹の影に隠れ、あのただならない鳥を見つめます。

 すると…。



 上空を旋回していたカラスがアスファルトに舞い降りると、その小さな白い影はしゃがみ込んだ人間の姿に変わったのです─。



(つづく)


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